森を切り拓いて作られたクトゥパロン・メインキャンプは、地平線まで難民テントが続く。
車を降りて迷路のような小径を10分ほど歩くと斜面に へばりつくようにして 竹作りの小屋がひっそりとあった。マドラサ(イスラム神学校)だった。8畳ほどの広さだろうか。
筆者が訪ねた時は10人ほどの少年がコーランを朗唱していた。頭を前後に振りながら経典を音読する独特の勉強方法だ。
校長にあたる聖職者のハーフェス・ヌルホセン師(45歳)が、生徒たちに慈愛の眼差しを注いでいた。
師によればマドラサは昨年9月下旬に開校した。ミャンマー国軍の掃討作戦に遭い、ラカイン州から逃れてきて、わずか一か月後のことだ。8歳から25歳までの30人がここで学ぶ。
「ミャンマーでは5年前からマドラサを開くことが禁止されるようになった。コーランを学ぶために集まっているのが当局に見つかれば、逮捕され刑務所に送られた」。師は訴えかけるように話した。
ミャンマー政府がマドラサを取り締まっているのは、国軍がイスラム過激組織ARSA(アラカン・ロヒンギャ救世軍)に手を焼くからだ。アフガンのタリバーンがそうであったように、イスラム戦士の多くはマドラサで教育される。
マドラサに神経を尖らせているのは、バングラ政府も同様だ。ARSAはパキスタンのイスラム原理主義との関わりを指摘されており、難民キャンプ内にもARSAが潜んでいることは周知の事実となっている。
かつて東パキスタンと呼ばれたバングラは、西パキスタン(現パキスタン)との内戦を経て独立した歴史を持つ。パキスタンに絡むイスラム原理主義には、自ずと警戒を強める。
武装したイスラム原理主義勢力がダッカのレストランを襲撃し20数人の死者を出した事件が、2年前にあったばかりだ。
イスラム原理主義勢力の温床となりかねないマドラサに、バングラ政府が神経を尖らすのは、無理もない。
シャヒドゥル・ハク外相はBBCのインタビューに「一刻も早く(ロヒンギャ難民を)送還したい」と語った。
マドラサが難民キャンプの迷路の奥にひっそりとあったのには、それなりの理由があったのだ。
「ミャンマーに帰還させられたらこんなに自由に勉強はできなくなる。戻りたくない」。ヌルホセン師は顔を曇らせた。
〜終わり~
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読者の皆様。ロヒンギャ難民問題は日本政府のミャンマー支援が第2の惨劇を引き起こしかねません。その実情を伝えるために現地取材に来ました。カードをこすりまくっての借金です。ご支援なにとぞ宜しくお願い申し上げます…https://tanakaryusaku.jp/donation