今から60年前、米国とソ連は核戦争の一歩手前まで行った。キューバミサイル危機である。ケネディとフルシチョフの頂上会談により、危機は寸前のところで回避された。
半世紀余りの時を経てロシア軍はウクライナに侵攻した。だが通常戦では勝ち目はなくなった。全面撤退の可能性も視野に入る状態だ。
追い込まれたプーチン大統領が核兵器を使用するのではないかとの懸念が、国際社会を覆う。
プーチン自身が「ロシアの領土(ウクライナの4州も含めて)を守るためにはあらゆる手段を使う」として大量破壊兵器の使用を仄めかすありさまだ。
バイデン米大統領は6日、「キューバミサイル危機以来のリスク」と警告を発した。「ハルマゲドン(終末戦争)」とまで形容し、強い危機感を示す。
2月の開戦前にもバイデンは「ロシアがウクライナに侵攻する」と予告していた。予告は現実のものとなった。
核実験も含めてプーチンの核使用は絵空事ではないのである。
ビキニ環礁での実験(1946~58年)はともかく、実戦での核使用は太平洋戦争以来となる。
ヒロシマ・ナガサキを経験した日本のジャーナリストとして、プーチンの核使用を見届けなくてはならない。
とはいえ、東南部で続く通常戦からも目が離せない。激戦地はズタズタに破壊されているので、近くの州のホテルやモーテルに投宿する他ない。
一方、核はどこで使用されるのか分からない。どこにでも行ける首都キーウが好都合だ。
海外メディアは複数の記者・カメラマンが各地に分散して取材を続ける。
ところが田中龍作の場合、身はひとつしかない。ウクライナは広大である。
首都と激戦地を行ったり来たり。疲労困憊である。体力との戦いになってきた。
~終わり~
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読者の皆様。
田中龍作はたった一人で通常戦と核戦争の両方を見届けなくてはならなくなりました。
疲れ果てていますが、いま倒れる訳にはいきません。ご支援何とぞ御願い申しあげます。