開戦から45日目、4月11日。
キーウから西に47㎞のブザヴァ村は、人口約2千人の農村だ。村の中心部から南にわずか2㎞の所に、セスナ機を飛ばせるくらいの空港がある。
小さな空港だが、ドローンとヘリコプターの離発着には十分だ。ロシア軍はこの空港に興味を持ったのか、村に1ヶ月以上駐留した。
村人の話はこうだ―
2月末に侵攻してきたロシア軍は当初は何も盗らなかったが、3月中盤くらいから略奪を繰り広げるようになった。家に押し入り食料や金目の物を奪っていった。牛やヤギは殺して食べた。
ここでも略奪と殺戮はセットだった。10人が射殺され、今なお行方不明者が多数いる。
民家や公共施設の損壊が目につくが、学校の破壊は、言葉で表現できるレベルを超えていた。
ブザヴァ村の公立学校(生徒約500人)は7才から18歳までが学ぶ。日本風に言うと小・中・高一貫教育である。
ロシア軍の村への爆撃が始まり先生と生徒157人が学校地下のシェルターに避難した。
ところがロシア軍は学校を砲撃し始めた。学校関係者によれば、ロシア軍は校舎に砲撃を浴びせた。駐留期間中、砲弾100発以上が撃ち込まれた。
砲弾は戦車、多連装ロケットランチャー(※)などから放たれた。(※トラックに積まれたロケットが火を噴いて息つく間もないほど連射される映像を御覧になった向きは少なくないはず)
教室を見て回った。声が出なかった。壁には大きな穴が空いていた。机や椅子は焼けただれ原形を留めていなかった。
生徒に死者がいなかったのが、せめてもの救いだった。子どもたちは、しかし、学び舎を失ったのである。授業再開など遠い先だ。
教育もまた同様に破壊したのである。
小麦栽培はウクライナの基幹産業。教育は国家百年の計である。ロシアはどこまでウクライナを壊せば気が済むのだろうか。
~終わり~
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カードをこすりまくっての現地取材です。
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