開戦から32日目、3月29日。
ロシア軍によると見られる空爆でアパート6棟が全半壊した跡地で、屑鉄を拾い集める男性たちの姿があった。
日本でも戦後、屑鉄商いで得た現金を元手にのし上がった事業家は少なくない。
中間層が暮らすキエフ市内のエリアでは、市場の一部が営業を再開していた。
青果店には色とりどりの野菜や果物がズラリと並んだ。品薄感はみじんもない。
店主によれば品物は戦前より平均で80%も値上がりしているそうだ。店の収入は戦前と変わらないという。
ブリキ造りの洋品店があった。長屋の一角で、壁も屋根もブリキだ。窓がないため店内は薄暗い。田中はここでコートを買った。当地はまだまだ寒いからだ。日本円にして3,000円だった。
紛争取材で訪れた各国の都市や村には必ずと言ってよいほど、この手の商店があった。避難先から戻ってきた商人や住民によって市(いち)が立つのだ。焼け跡闇市である。
ただ経済復興に結び付くまでの本格的な焼け跡闇市ではない。
本格的な焼け跡闇市ができるには停戦が大前提となる。日本の焼け跡闇市が終戦(敗戦)後、雨後のタケノコのごとくできたように。
ウクライナに停戦監視団が入れば、大規模な消費が展開される。巨額の外貨が落ちる。復興特需である。
とはいえ停戦は容易ではない。紛争当事者であるロシアとウクライナの主張に隔たりがあり、欧米の利害が絡む。
地元のメディア関係者は、トルコで行われている停戦交渉を「フェイクだ」と吐き捨てた。
もし停戦が成立したとしても、停戦監視団の構成をどうするかで、ひと悶着もふた悶着もあるだろう。
焼け跡闇市がウクライナを賑わすまでは、まだ時間がかかりそうだ。
~終わり~
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