「野党共闘は失敗だった」「いや、成果があった」の議論が世を賑わしている。前者はマスコミの論調で、後者は市民連合の山口二郎センセイらが主張する。
両者とも現実を見ていない。立憲と共産に魅力がなかったのである。これが現実だ。候補者調整して選挙協力をすれば、有利になるのは当然だった。なのに両党とも議席を減らした。
枝野代表が小ぎれいな言葉をツラツラと並べてもまったく聴衆の心を打たなかった。共産党の落選候補は横文字を散りばめた政策やスローガンを並べ立てた。高邁だが、こちらも有権者の心を捉えなかった。
「そんなことより我々を食べさせてくれよっ」…これが庶民の叫びだった。貧困は統計に表れないところで進んでいる。炊き出しに非正規労働者が並ぶ。うどん屋に行けば、サラリーマンはライスだけを注文し、つゆと天カスをかけて食べる。
選挙期間中、生活保護の受給率が高く、貧困が進む東京12区を取材していて驚いたことがあった。仏壇を買えなくなった、はたまたお布施を払えなくなった学会信者が維新に投票しているのである。
維新が唱える「行政のムダを削って、福祉や教育に回す」が耳に心地よいのである。「ベーシックインカム」も支持されていた。公明が自民ベッタリとなり福祉を蔑ろにするようになった結果だ。
以前は共産党に投票していたが、「今は維新一本」という有権者もいた。共産党は立憲に擦り寄り過ぎたため、労働者階級の政党という自らの立ち位置を忘れてしまった、といえる。経団連労働部である連合の意向に左右される立憲の影響を受けたのだろうか。
我が友人はガールズバーでバーテンとして働く。職場のホステスたちの大半はシングルマザーだったり、生活保護を受けていたりする。
彼女たちに「衆院選挙はどこに入れたのか?」を聞いた。27人中12人が れいわ だった。れいわに入れた理由を「『消費税ゼロ』と『1人20万円の現金給付』」と答えた。庶民は切羽詰まっているのだ。
~終わり~