香港では中国全人代による選挙制度の押し付けに反対する民主派と警察の激しい攻防が続く。警察が催涙スプレーと棍棒でデモ隊を実力排除しバリケードを撤去するが、デモ隊はまた戻って来て新たなバリケードを作る。デモ隊側に負傷者と逮捕者が多数出ているようだ。
香港のデモ(具体的には中心街の占拠)をめぐっては、「米国陰謀説」を時々ネット上などで見かける。
天安門事件(1989年)の際、中国政府から指名手配を受けた活動家をアメリカやカナダに逃がした人物が、デモ隊の知恵袋になっていたりする。米国政府筋が直接デモを指南したとの噂もある。
中国人民日報(海外版・17日付)は「西側勢力の支持の下で長い間準備した計画的行動だ」とする識者の談話を掲載した。「米国陰謀説」は、こうしたことから出たものとみられる。
だが、筆者が香港で取材する限り、現場にその匂いはなかった(取材不足なのかもしれないが)-
3日、モンコックで ならず者(逮捕者19人のうち9人が暴力団組員=香港警察発表)が押し掛けてテントやバリケードを壊そうとした。SNSやマスコミ報道で伝わると、大勢の市民が駆け付けた。その数は1万人をゆうに超えた。モンコックの大通りは人で埋め尽くされた。1万人超の市民が ならず者 を一人一人つまみ出し、デモ隊を守ったのである。
事態が最も緊迫した2日、政府本部庁舎西側ゲート周辺はデモ隊であふれた。ゲート前を走る幹線道路反対側の歩道や緑地帯もデモ隊で一杯だ。現場の気温は外気をはるかに上回っていた。香港特有の蒸し暑さがそれに輪をかける。
汗を拭いっぱなしの筆者が海外のジャーナリストと分かるや、近くにいた女性(20代)は、保冷剤を差し出した。「首の後ろに貼れ」とジェスチャーを交えて。別の女性は団扇で あおいで くれた。彼女は3時間余りに渡って休むことなく筆者に風を送り続けた。
デモ隊の若者たちに「Are you student?」と聞くと、半分は首を横に振った。「I’m working」と答えた。休日は家族連れが座り込んだ。夕方になると勤め帰りのサラリーマンが目についた。
デモのリード役は学生たちだが、守り支えているのは市民だった。民主派と表記するのはそのためだ。
取材には地元英字紙の記者(20代)が同行してくれた。毎日仕事が終わると、彼に取材協力謝礼(ギャラ)を渡していた。現在の英字紙に移る前は、親中派の新聞社に在籍していた、と話してくれた。彼なくして今回の取材はなかった。
香港を発つ朝、彼は封筒を差し出してきた。中味はそれまで渡してきたギャラだった。それも全額、同じ札だ。
封筒を突き返そうとしたが、彼は受け取らなかった。‘It was my job’と言って。香港の現状を世界に発信しようと懸命だった。
かりに米国のシナリオがあったにせよ、若者たちは自由な香港を守りたい一心で街頭に集っているのだ。