5日朝から「72時間停戦」に入り、漁師たちが久々に海に出た。子供たちは海水浴を楽しんだ。
海には波の音にまじって船のエンジン音が響いた。網を引く漁師たちの掛け声が聞こえる。
漁師たちは午前8時から3時間ほど海に出たが、漁はさっぱりだった。1尾も網にかからなかった船の漁師は「ドローン(無人攻撃機)のおかげだ」とうらめし気に空を指さした。
魚が無人攻撃機の飛行音に驚いて逃げる訳ではないが、漁師たちは海の上を舞う機体が目障り、耳障りなのだ。無人攻撃機は停戦中もガザ全域を飛ぶ。海上も例外ではない。
小魚と蟹を1キロほど網にかけたのはハテム・エル・セムリーさん(41歳)だ。
「海に出たのは戦争が始まって以来初めて。これまで『停戦』になる度に浜辺に来ていた。海には出られなかった。出れば(イスラエル軍に)殺されるから」。ハテムさんはとりあえずの出漁を喜んだ。
ガザは海もイスラエルによって封鎖されている。漁師たちの出漁が許される海域は、1994年~2007年(※)は、沖合い12マイル(約20キロ)までだった。
2007年以降は半分の6マイル(約10キロ)までに制限された。最近ではさらに半分の3マイル(5キロ)までとなった。
海に出るのは命がけである。筆者がある漁師から聞いた実際の話だ――戦争中でもない時に彼は漁に出ていた。それも制限海域を守って。だがイスラエル海軍の高速ボートに銃撃された。
彼は海に飛び込み命からがら浜辺に泳ぎ着いた。2月だった。冬のガザは東京と変わらないくらい寒い。
戦争期間中になるとイスラエル軍は海への神経をさらに尖らす。漁師たちが網を置いたり休息を取ったりするのに使っていた漁港の施設は1週間前、空爆に遭った。
「戦争が早く終わることを願う。疲れた。ノーマルな生活に戻りたい」。前出の漁師、ハテムさんは祈るような目で沖を見つめた。
◇
※
1994年:パレスチナの自治を認めたオスロ合意の翌年。
2007年:前年の選挙で勝利したハマスがガザを名実ともに支配するようになり、イスラエルがガザの本格封鎖を開始。
◇
読者の皆様。田中はクレジットカードをこすりまくってガザに来ております。借金です。ご支援よろしくお願い致します。