わずか数十の傍聴席を求めて1千人余りの傍聴希望者が抽選のクジを引く「陸山会裁判」。東京地裁前には早朝から長蛇の列ができる。
「きょうもまた傍聴券乞食だわ」。ジャーナリストの江川紹子さんは自嘲的な笑みを浮かべた。クジに外れたのだ。それでも江川さんの克明な法廷リポートが夕刊紙や週刊誌の誌面を飾るのは、傍聴席を譲ってくれる人がいるおかげだ。だが毎度、人頼みというのは不安定このうえない。
「記者席」。傍聴席前列に麗々しくビニールのシートが掛けられている。記者クラブメディア(新聞、テレビ、通信社)だけの特権かと思っていたのだが、雑誌記者への割り当てもある、という。それを知った江川さんは東京地裁総務課に「記者席割り当てのお願い」と題する書面を提出した。昨年10月24日のことだ。
3日後に東京地裁総務課から江川さんの携帯電話に連絡が入った。「認められない」と告げられた。江川さんが理由を尋ねると「それはお伝えしないことになっている」。
「それは誰が決めたのか?」
「東京地裁ではそうなっている」
「裁判長はなんと言っているのか?」
「裁判長もそのように言われている」
「本当に裁判長がそう言っているのか?裁判長は実際に何と言ったのか?」
江川さんは食い下がったが、地裁総務課の職員は「そうなっている」という趣旨のことを繰り返すだけだった。
「せめて文書で回答が欲しい」
「回答は口頭ですることになっている」
地裁総務課は木で鼻をくくったような答に終始した。江川さんが文書で要望したのにもかかわらず、回答は携帯電話一本で済ませる。あまりにも人を馬鹿にした話ではないか。
その後も、江川さんは「傍聴席の確保」を求めて仮処分の申し立てを行うなどして旧態依然とした裁判所との戦いを続けている。
記者クラブメディアに対する裁判所の便宜供与は目に余るものがある。判決内容のコピーなどはその典型だ。その返礼として記者クラブメディアは、どんなに酷い判決が出ても判決自体を批判するような記事を書かない。
記者クラブと裁判所の談合体質に風穴が空かない限り、司法の暗黒に光は射さない。陸山会事件の判決をめぐっては「推認」なる有罪概念まで飛び出すほどだ。検察と記者クラブに狙われたら、推認で「クロ」になってしまうのである。
江川さんのようなフリーランスが傍聴しなければ、小沢一郎・元民主党代表が有利となり、検察不利となるような公判廷でのやりとりは闇に葬られてきたことだろう。司法がおかしくなっているということ自体、国民に知らされていないはずだ。