昨年末から3週間余り続いたイスラエル軍の侵攻で瓦礫野原と化したパレスチナ自治区ガザ。半年余り経ってようやく復興の兆しが見え始めた。イスラエル政府当局は、セメントをはじめとする建設資材のガザへの搬入を認めたもようだ。
破壊された建物の再建ばかりではない。これにより発電・配電設備、製粉機、トイレの浄化槽、送水施設などが復旧する見通しだ。搬入されるセメントは13万トン。
復興資材の搬入は国連中東特使のロバート・セリー氏が立案した。製粉機の修復はUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)のプロジェクトだ。
ガザが田園地帯であることはあまり知られてないが、綿花や小麦の栽培が盛んだ。イスラエル国境に沿うように黄金色の小麦畑や綿帽子のような実をつけた綿花の畑が広がる。
だが、イスラエル軍の猛爆撃により製粉工場も破壊されパンやナンは不足気味になっていた。金属パイプが入ってくることで製粉機が修復されれば、人々の食卓はほんのわずかでも豊かになる。
イスラエルが金属パイプの搬入を禁止していたのは、ハマスが放つロケット弾の本体に利用されるからだ。セメントは発射台を作るのに用いられる。イスラエルは、ハマスが実権を握った2007年からセメント、鉄パイプ、肥料などがガザに入るのを禁止していた。
「イスラエルはハマスを弱体化するために(これら物資の)輸入を禁止しているのだろうが、非戦闘員の市民を苦しめているだけだ」と海外の援助機関はアピールしていた。国連はイスラエルに対して「経済封鎖を止めるよう」に繰り返し呼びかけている。
筆者はイスラエル軍の攻撃終了後、間もなくガザに入った。硝煙と共に砕け散ったコンクリートの匂いが至る所に立ち込めていた。何より食糧が不足していた。店の食糧品は品薄でレストランのメニューも限られていた。
事態は今も改善されていないはずだ。イスラエルへの出稼ぎ禁止により、そもそもの購買力がないのだから。綿製品などの輸出もイスラエルが禁止しているありさまだ。
建設資材の搬入で復興の槌音が空高く響くことを願うが、本質的な貧困の解消とはならない。