コロンボからプロペラ機でスリランカ最北端のジャフナ県に入り、津波で被災した東海岸沿いを車で南下した。目にするのは全壊し、廃墟となった漁村ばかりだった。12月26日以前、ここに人々の生活は本当にあったのだろうか。そう思わずにはいられないほど村々は破壊されていた。
国の北部、北東部はタミール人の多数地域だ。だが、反政府武装勢力タミール・タイガー海軍にあたる「シータイガー」の基地があるキリノッチ県をのぞけば、至る所に政府軍のベースがある。
タミール・タイガーは幹部を除けば、日常は漁師、農民であったり、ホテル経営者であったりする。タミール人多数地域に政府軍は武力で駐留するのだから、緊張は自ずと高まる。タミール人多数地域に出入りする際、政府軍、タミール・タイガー双方のチェックが厳しいのは、このためだ。
タミール人、シンハラ人、ムスリムの居住区がまだら模様となる地域も少なくない。軍や警察は警備に神経質になる。シンハラ人が握る政府が同民族の避難所警備を手厚くするのは、20年にわたる内戦を考えれば当然のことだろう。津波の後、政府はタミール人避難所警備に特別警察隊を配置した。タミール・タイガーがタミール人をリクルートに来ないようにしているのだという。
民族対立と貧困の構図
南下するにつれパゴダ(仏舎利塔)が目につくようになる。南部は支配民族であるシンハラ人が圧倒的多数を占める地域である。幹線道路沿いには商店も多く、店先の品物も豊富だ。スリランカは北部よりも南部の方が豊かであることが町の風景からもわかる。
スリランカの軍事費は5億1800万ドル(03年)で国家予算の11・4%を占める(日本は5・9%=04年度)。貧国の虎の子であるはずの国庫を、膨大な軍事費にあてるのだから、国はいつまでたっても豊かにならない。
政争は絶えない。クマラトゥンガ大統領は、かつて非合法化されていた仏教急進政党を取り込むことで、かろうじて政権を維持している状態だ。タミール・タイガーとの緊張が生まれ易い構図がある。
こんなスリランカを津波が襲った。沿岸部のどこに行っても見かけるのは、海外からのNGOの姿だ。津波の救援、復興にヨーロッパや日本などから70団体がスリランカに駆けつけ、活動している。
津波の被害に遭った漁船が約1万8000艘なのに対し、海外NGOから2万艘のオーファーがある、という。被災民は海外NGOが金や救援物資を持って来てくれることを知り尽くしていて、惨状を上手にアピールする。海外からの衣服が屋外に放置されたままの村もあった。
NGOといえども無給ではない。国の経済力を反映し、ヨーロッパなどのNGOの方がスリランカよりもはるかに高給だ。地元NGOで月給1万ルピー(約1万円)で働いていたスタッフが、7万ルピーで海外NGOに引き抜かれたケースもあった。有能なスタッフを失った地元NGOは頭を抱える。
津波バブルが去った後、和平や復興にどう取り組むのか、スリランカは正念場を迎える。(スリランカ取材記はこれで終了です)