ウクライナ‐ロシア関係が凝縮された男の死だった。男の名はアレクサンダー・ムズイチコ(通称:サチコ・ビリー=1964年ロシア生まれ)。極右政党「ライトセクター」の幹部だ。
暫定内務省は25日、サチコを射殺したと発表した。発表によれば治安警察が24日、ウクライナ西部の都市リブネのカフェでサチコを発見。拘束しようとしたところ銃撃してきたために撃ち返し、射殺のやむなきに至ったという。
「ライトセクター」は反ロシア民族主義で鳴る。ヤヌコビッチ前政権を倒した独立広場(マイダン)の民衆蜂起で先頭に立っていたのが「ライトセクター」だ。それを戦術面で指揮していたのが武闘派のサチコだったといわれている。
サチコはチェチェンで多数のロシア軍兵士を殺害し、戦車60台を破壊した実績を持つ。このためロシアから「お尋ね者」に指定されていた。
独立広場の攻防で治安部隊の装甲車が火炎ビンを放り込まれ炎上する光景が繰り返しテレビで放映されていた。この光景をご記憶の読者諸氏も少なくないはずだ。これらを指揮していたのがサチコだ。
ライトセクターなくして独立広場での戦いの勝利はなかった。ヤヌコビッチ前大統領の追放もなかったのだ。功労者だったサチコがなぜ殺害されたのか。
謀略小説顔負けの事実が浮かびあがる。サチコのスポンサーはロシアの諜報機関だったというのだ。サチコの窓口となっていたブラディスラフ・スルコフという大佐の固有名詞まで明らかになっている。
メディアで繰り返されていたが西側の見方はこうだ―
ロシアはクリミアに続いてウクライナ本土の南部や東部でも騒乱状態を起こし、ロシア系住民の保護を名目に軍事介入する。
ロシアはサチコを使ってロシア系住民を攻撃させ騒乱状態を起こしたかったというのだ。これ以上国土を奪われたくないウクライナ新政権が機先を制するためにサチコを亡き者にした、ということになる。
独立広場の市民革命を演出した米国は、サチコを利用するだけ利用した。ウクライナ新政権はサチコが邪魔になってきたため消した。
ライトセクターは27日、「アルゼン・アバコフ暫定内務相に報復する」と発表した。米国にそそのかされた新政権は、いずれ手痛いシッペ返しをくらうだろう。