「権力側から見れば暴動、市民側から見れば革命」。トルコの首都アンカラは毎晩、このような状態になる――
今月1日、警察との衝突で頭に催涙弾を受け2週間後に死亡した青年の追悼集会が25日夕(日本時間26日未明)、市内の公園で開かれた。祭壇がしつらえられたのは、青年が警察の凶弾に倒れた場所だ。そこが首相官邸のそばであることも、アンカラ市民の気持ちを昂ぶらせていた。
“激戦地”のひとつアンカラ南東部の街・ディクメンを取材した。夜10時半、筆者が現場に着いた時には、大河のようなデモ隊が大通りを行進していた。車道一杯に広がり、警察宿舎に向かっていた。
お年寄り、主婦、働き盛りの中年男性、若者…あらゆる年齢の人たちが国旗をかざし、シュプレヒコールをあげながら歩く。服装もジャージ姿や普段着だ。
警察宿舎のはるか手前で機動隊は待ち構えていた。こちらは道路の両車線を塞いだ。ひとっこ一人通さない構えだ。
デモ隊の最前線は機動隊の隊列から30mしか離れていない。女性たちが国旗を振り拳を突き上げる。五十がらみのオバさんがリーダー格だ。
アンカラの機動隊が手荒であることは聞き及んでいた。催涙弾の鉄製の筒を受けたくない。筆者は彼らに近づくと数カット撮っては、デモ隊の中に逃げ込んだ。
ニラミ合いは10分も続いただろうか? 警察は放水車から催涙性の液をデモ隊に浴びせ始めた。
「デクテートル・イシティファ=独裁者は辞めろ」「ファシズメ・オズム・オムザ=ファシストと戦うぞ」。シュプレヒコールが夜空に響いた。
機動隊は催涙弾を放ち、続けざまに催涙性の液体を浴びせた。放水車を先頭に前進する。
泣き叫ぶ女の子を肩車した父親が走って後列に退いた。デモ隊もジリジリ後ずさりする。
機動隊の攻撃が始まって30分もすると、大通りは催涙ガスで霧が立ち込めたようになった。ガスマスクとゴーグルを着用していても目とノドが痛い。
ガスにむせる筆者に「危ないからビルの陰に隠れていなさい」と促す声があった。ワンピース姿のおばちゃんだった。ガスマスクもゴーグルも着けていない。にもかかわらず、この余裕だ。戦い慣れているのだろうか。頭が下がった。
そうこうしているうちに、アンカラ東部のトゥズル・チャユルでもデモが起きている、との情報が入った。人々が古タイヤなどを燃やして道路を塞いでいるという。すぐに車を走らせた。
イスタンブール以外での衝突をテレビで見ることはあまりない。自己規制をしているのだろうか? 革命前夜、あるいは無政府状態とも言える光景が毎晩現出する首都アンカラ。エルドアン首相退陣を求めて市民が蜂起してから、間もなく一か月が経つ。
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関西の篤志家S様ならびに読者の皆様のご支援により、トルコ取材に来ています。