原発を動かそうとする「ほんの一握りの特権層」と、再稼働に反対する「圧倒的多くの国民」。22日夕、この図式を象徴するような出来事が首相官邸前で起きた。
時系列で述べよう。エセ右翼が正午過ぎから官邸前の歩道で街宣活動を始めた。リーダー格の男性によれば、麹町警察署に「午後8時まで集会を開く」と届け出ているという。午後6時から始まる金曜恒例の再稼働反対集会(主催:首都圏反原発連合)を妨害する意図がありありだ。
官邸前交差点の“一等地”をわずか10人のエセ右翼が占拠した。「放射能は健康によい」「原発事故が起きる確率は飛行機事故よりも少ない」…子供だましにもならない演説を続けた。
Twitterなどによる呼びかけで集まった大勢の市民たちは脇で待った。午後6時には1万人を超えていた(主催者発表)。定位置に行こうとする市民たちと、一等地を譲るまいとするエセ右翼との間で小競り合いが起き、警察隊が間に入った。
間もなく異変が起きた。警察隊がエセ右翼を溜池方面に押しやったのだ。リーダー格が警察幹部に食ってかかった。「我々も引いたんだから、あいつら(市民)も引かせてよ」。
「引かせることはできないよ。しっぽ(最後尾)は霞が関まで届いてんだ。2万人はいるかもしれないよ」。警察幹部は淡々と答えた。
市民の列はどこまで伸びているのか。筆者は歩いて確かめた。官邸前交差点から霞が関方面に伸びた人の列は、内閣府のあるブロックをぐるりと取り巻いている。最後尾は官邸前の交差点に達した。溢れた市民は道路を挟んで反対側の議事堂前の歩道で「再稼働反対」を叫んだ。
参加者は午後6時42分の時点で3万人を超えていた(主催者発表)。警察がエセ右翼のリーダーに「(市民を)引かせることはできないよ」と答えたのは、客観情勢を踏まえた判断だ。警察といえども、わずか10人のエセ右翼のために、3万人の市民に対して「後ろに下がりなさい」とは言えない。
何十年も反原発を説き続けるジャーナリストの広瀬隆さんも駆けつけた。広瀬さんは高校3年生の時、60年安保に参加した。「(議事堂前の)車道まで人で埋めたい。我々はそうした」。
60年安保では連日10万人規模の労働者や学生が国会を包囲し、岸内閣は退陣に追い込まれた。当時の国際情勢を考えれば、日米安保にも大義はあった。だが、ウソで塗り固めた原発再稼働にどれほどの大義があるのだろうか。
議事堂の衆議院通用門前では、母親の自転車に乗せられた男の子(4歳)が「再稼働反対」の合唱に加わっていた。もう誰にも止められない。警察がどんな規制を敷こうが人々は「再稼働反対」を口々にしながら集まってくるだろう。
最終的な参加者は4万5千人(主催者発表)。次回は10万人にまで膨らんでもおかしくない。アラブの春の「ジャスミン革命」に擬えて官邸前抗議を「紫陽花革命」と呼ぶ参加者達も現れた。
「野田やめろ」「再稼働反対」のシュプレヒコールが地鳴りのように官邸と議事堂に響き渡った。
野田内閣を退陣に追い込むのは小沢グループの造反ではなく、市民による国会包囲ではないだろうか。これはもう革命である。
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