金曜恒例となった首相官邸前での「大飯原発・再稼働反対集会」が、国民運動の様相を見せ始めた。(主催:首都圏反原発連合)
参加者の人数は、回を追うごとに最多記録を更新しており、15日は1万1千人(主催者発表)と膨れ上がった。
この日、歩道は人で一杯になり車道にまで溢れた。長蛇の列は霞が関方面でなく溜池方面にもできた。勤め帰りのサラリーマンやOL、夕食の支度を済ませた主婦が続々詰めかけてくるのだ。物見遊山で訪れた人が携帯電話のカメラで撮影する。ムバラク独裁政権を倒したタハリール広場の蜂起と似た光景である。(2011年2月10日付け拙稿「カイロ発・携帯写メールが見守る市民革命」)
15歳の少年がマイクを握って叫んだ。「負の遺産を背負っていくのは僕達です。福島の事故が終わっていないのに再稼働はおかしくないですか?」
横浜から参加した3児の母も声を振り絞って訴えた。「私には子供を育てなければならない責任がある。安全に命をまっとうさせてあげたいんです」。
「居ても立ってもいられずに岩手県盛岡市から駆け付けた」というのは高校教師の女性(30代)だ。「労働者を被曝させて生活を破壊して。そんな原発はいりません。再稼働を強行するような政府もいりません」。
老いも若きも男も女も、人道的見地から再稼働反対を訴えたのである。
奇しくもこの日(1960年6月15日)は、安保改定に反対する学生が国会に突入し東大生の樺美智子さんが圧死した日だ。
労働者や学生が連日、国会を取り巻く模様は当時ラジオが実況中継し、それを聞いた市民が駆け付けた。今はネットがライブ中継する。エジプト市民革命はフェイスブックなどで呼びかけ合った市民がタハリール広場に続々集まった。首相官邸前の集会の別名は「ツイッターデモ」である。
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