政府は安保改定に反対する労働者や学生によって、国会が包囲され退陣に追い込まれた岸信介内閣の二の舞を避けたかったのだろうか。国会包囲に十分な参加者数はいたのだが、警察が舗道の一部分を通行禁止にしたため、脱原発を求める市民が国会議事堂を完全に取り巻くことはできなかった。
通行止めになったのは、衆議院第二会館前の交差点から首相官邸までの100m余り。この部分以外は人間の鎖でつながった。1万人はいただろうか。
議事堂に隣接し外周する舗道は完全にシャットアウト。制服警察官がびっしりと配置され蟻一匹入り込めないほどの厳重な警戒だった。
神奈川県から電車を乗り継いで来た青年(30代前半)は、「(完全に)包囲できなかったのは無念。官邸にも行きたかったのに」と悔しがった。この日は官邸に「再稼働をしないよう申し入れる」ことになっていたのだ。
「思っているだけで行動できなかった。そんな人が腰をあげる状態になった」。仲間の女性は脱原発運動の広がりに表情を明るくした。連れの男性は「人がこれだけ集まるようになったのは、ちょっとずつ変化してきた証拠」と言いながら「UST中継だけで満足しないでここに来て下さい」と力を込めた。
国会正門前では「脱原発集会」が催された。社民党の福島瑞穂党首が「国会は私の職場なのにきょうは近づけない。おかしな事態だ」と話すと、うねりのような拍手が起きた。
ドイツ連邦議会議員で「緑の党」原発問題責任者のシルビア・コッティング・ウールさんがマイクを握った。
「日本政府がやるべきことをやっていない。東電の責任をもっと追及しなければならない。ドイツが脱原発を決めたのだから日本もできないはずはない。ドイツで脱原発ができたのは市民が(原発推進に)抵抗したからだ」。シルビア議員がスピーチすると、指笛と拍手がしばらく鳴りやまなかった。
陽が完全に没すると参加者たちは手にキャンドルをかざした。無数の灯が光の輪となって国会を取り囲み、議事堂のシルエットが夕空に浮かびあがった。権威の殿堂に、原発再稼働阻止を叫ぶ1万人の声はどう響いたのだろうか。
人間の鎖が寸断されたのは、警察に不当規制をさせた野田官邸の反則あればこそだ。2012年3月11日夕、国会は脱原発を求める市民によって確かに包囲された。
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