開戦から62日目、4月28日。
真っ直ぐな道が地平線に没していた。道の左右は麦畑だ。
ロシア軍戦車の残骸はことごとく道路上にあった。戦車が畑の中にあるのを見たことがない。
理由はこうだ―
ロシア軍が侵攻を開始した2月下旬は、麦畑がぬかるみ始める頃だった。戦車が畑を通れば泥にはまり立ち往生する。
ロシア軍の戦車はアスファルト道路を1~2列縦隊となって進撃せざるを得なかった。そこをウクライナ軍の対戦車ミサイルや自走砲に狙い撃たれたのである。
農民によれば「冬の間、麦畑は雪で凍り岩のように固くなる」のだそうだ。ロシア軍の侵攻開始がもう少し早ければ、戦況は違ったものになっただろう。キーウにロシア軍の戦車が雪崩れ込んでいた可能性もある。
麦畑が戦車のキャタピラーに蹂躙されなかった代わりに別の悲劇が起きた・・・
キーウから東に55㎞のゴーゴレフ村では、麦の種蒔き作業が始まっていた。土をかき混ぜながら種を撒くトラクターのエンジン音が広大な畑に響いていた。戦争のため例年より少し遅れての種蒔きだ。
27日にはブチャでトラクターが畑で地雷を踏んで大破する事故が起きている。
トラクターを運転していたアンドリューさんは腹をくくった様子で語った。
「地雷を踏むリスクは自分たちで背負わなければならない。怖がって種まき作業をしなかったら今年の収穫はなくなるからね」と。
絶望的なまでに深刻なケースに出くわした。バレリーさんの麦畑(55ha)は地雷原となってしまったために、ロシア軍が去った後も立ち入り禁止となってしまった。今年の収穫はゼロである。
バレリーさんを二重の悲劇が襲う。食用油となるヒマワリの畑(110ha)も地雷原となったため、麦畑同様立ち入り禁止である。こちらも今年の収穫はゼロだ。
ウクライナの莫大な麦の生産のうち約80%は海外に輸出されるという。
麦畑が地雷により甚大な被害を受けたことで、輸出量は大幅に減り、麦価格の高騰をもたらす。
麦に代わって飢餓が輸出されるのである。戦争は遠い国の貧困層を直撃する。
~終わり~
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