開戦から28日目、3月24日。
当局発表を受けて「ウクライナ軍が●●●を奪還した」などとする海外メディアの記事が目につくようになった。日本のマスコミはそれを翻訳で垂れ流す。
田中は自分の耳と目で確かめたことだけを読者に伝えることにしている。戦争は当局発表と現状が掛け離れていることが多々あるからだ。
この日はキエフ市北隣の戦略要衝ヴィシュグラードゥに取材車を走らせた。
キエフを出ると黒煙が空に上がっているのが見えた。ヴィシュグラードゥが砲撃に遭っているのではないことは後になって分かる。
ウクライナは北に行くほどロシア軍の支配地域となる。ロシア軍はキエフめがけて南進してくるため砲撃が激しくなる。
ヴィシュグラードゥの場合、首都キエフの北隣にして水力発電所がある。ヴィシュグラードゥがロシア軍の手に落ちれば、キエフは窮地に追い込まれる。
ロシア軍にとってはノドから手が出るほど欲しい街だ。
ヴィシュグラードゥ入口のチェックポイントで検問を受けていると、戦車を積んだ大型トレーラーが過ぎて行った。前線が北にあることを否が応にも感じさせた。
検問所を管理するウクライナ軍は、田中がヴィシュグラードゥに入ることを認めなかった。「今朝がた砲撃があった。ジャーナリストは入れないことにしている」と説明した。
田中が把握しているだけでも、ジャーナリストはすでに4人が死亡している。軍の説明は分からないでもなかった。
西隣の街に入ろうとしたが、そこもチェックポイントで軍に拒否された。道路上を走る車はほぼゼロだった。
《田中は軍の車で戦略要衝の地に入った》
田中は再び戦略要衝のヴィシュグラードゥを目指した。チェックポイントの兵士は「またか」という顔をした。通訳が「5分でいいから入れて下さい」と懇願した。
検問所の司令官は田中に「How long minutes?」と聞いてきた。「Only a few minutes」と答えた。
根負けしたのか。軍はとうとう田中と通訳がヴィシュグラードゥに入ることを認めたのである。
変に動き回られても困るからだろう。田中らは戦闘用の車両ではないが、軍の車に乗せられた。(写真最上段)
10分近く走ると、市庁舎に着いた。庁舎前は広場になっており商店が並んでいた。
前線の街なのに人々はのんびりと散歩を楽しんでいた。子どもが自転車に乗っていた。
対応してくれた軍の小隊長に「何でこんなに人がいるのか? 避難していないのか?」尋ねた。
小隊長は「(ここ市庁舎から)25㎞北の地点までロシア軍を押し戻したので、人々が戻って来てるんだ」と説明した。表情は晴れやかだった。戦況に詳しい地元メディア関係者によると、つい1週間前、ロシア軍は市庁舎から15㎞の地点まで迫っていた。
極東のどこかの国のようなショーウィンドウではない。やらせではない。第一、田中は飛び込みなのである。
最大の激戦地イルピンでもウクライナ軍が押し戻していることを、田中は現場で確認している。
ベラルーシの援軍でもない限り、ロシア軍が通常戦で勝利するのは難しい状況となっているようだ。
焦ったプーチン大統領が大量破壊兵器の使用に踏み切らないことを願うばかりだ。
~終わり~
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皆様のお力で、田中龍作は日本の新聞テレビが報道しない、ウクライナの実情を、伝えることができています。
カードをこすりまくっての現地取材です。 ↓