開戦から28日目、3月25日。
戦争の何が恐いか。爆撃に遭い身体が肉片となって飛び散るのも怖い。家ごと焼き殺されるのも怖い。
それと同じくらい恐ろしいのが飢えだ。こちらは真綿で首を絞められるようにジワリジワリとくる。
飢えは食べ物がなくなるケースと、食べ物を買うカネがなくなるケースとがある。両者とも戦争に必ずついてくる。
砲弾が飛んでくるが、街はウクライナ軍のコントロール下にあり、シェルターに駆け込めば何とかなる・・・そう思う人は街に残る。
ロシア軍の砲撃が激しかった頃は他地域に逃れたが、ウクライナ軍が押し返したら、人々は街に戻ってきた。首都キエフの北隣ヴィシュグラードゥはその典型である。
田中は24日に続いて25日もヴィシュグラードゥに入った。砲撃があっても、人々をして留まらせる街を見たかったのである。
チェックポイントに1回目(24日)と同じ兵士がいたため、氏素性の確認もなくヴィシュグラードゥに入れた。それでも軍の車両に乗せられて、である。
同行の兵士によれば25日未明にロシア軍陣地の方角から砲撃があった。標的になったのはガソリンスタンドだ。事務所がやられた。
ロシア軍は生活インフラを狙うのがお好きなようだ。
チェックポイントの警戒はおのずと厳しくなる。カラシニコフAK47の銃口を車に向けたまま検問する光景も見られた。銃口が今にも火を噴きそうな緊迫感があった。
それでも住民はヴィシュグラードゥを離れない。経済的な事情がそうさせるのである。女性、子供、老人は脱出が自由なのにもかかわらず、だ。
スーパーマーケットは営業しており、客が出入りしていた。何より驚いたのはファストフード店に補給(ロジ)の専用トラックが来て、食材を店に届けていたことだ。
ショーウィンドウを作るためやヤラセで、こんなことはできない。田中はこの日も飛び込み取材だったのだから。
ヴィシュグラードゥに向かう道すがら青空市場を見かけた。ありとあらゆる野菜、果物、穀物が露店に並んだ。爆撃に遭った倉庫から持ち出した品もある。
いずれも市価の半値以下だ。生活困窮者のためにキエフ市が市内8か所で開催した。
並んだ果物を前に、財布の中身と相談する主婦の姿があった。今も田中の まぶた に残って離れない。
戦争は庶民にとって食べて行くこととの戦いである。
~終わり~
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カードをこすりまくっての現地取材です。 ↓