本稿は山本太郎を擁護するものではない。真実を明かさなければ、野党が健全にならないと思うあまり執筆することとした。
山本の出馬表明が告示3日前という土壇場になったのは理由がある。
小池ゆり子知事の都政運営やコロナ対応を否定して出馬する以上、小池の正式出馬表明を待つ必要があった。
「(山本が)出るとしたら小池の出馬表明の後」との情報を得ていた田中は、親しいフリー記者らに、それを伝えていた。
果たせるかな。小池は12日(金)の夕方、記者会見を持ち、正式に出馬表明した。翌日は土曜、翌々日は日曜日だ。
山本は直後の「営業日」となる月曜日15日に立候補の記者会見を開いた。既定方針通りだった。出馬表明が遅くなったのは「後出し」ではないのだ。
遅くなったもう一つの理由は立憲にある。立憲が山本の唱える「消費税5%」を飲んでいたら、山本は野党統一候補になっていただろう。
立憲はあの手この手で山本本人との接触を図っていた。だが山本の政策の一丁目一番地である「消費税」と「確認団体・れいわ東京の使用」で折り合いがつかなかったため、会談は実現しなかった。
この国の政治をまっとうにするために野党共闘のマヤカシを指摘しておかねばならない。
立憲と共産は前回(2016年)の都知事選で、宇都宮健児を事実上引き摺り降ろしたのである。
当時民進(現・立憲)の枝野幹事長と共産の小池晃書記局長は、告示日3日前の7月11日午後5時30分、ホテルニューオータニに宇都宮を呼び出した。
枝野は「古賀(茂明)さんで行きますのでご検討ください」と言い、宇都宮に撤退を求めた。
それから5時間後に再び宇都宮をホテルニューオータニに呼び出し、枝野は「鳥越(俊太郎)さんで行くことにしました。宇都宮さんが降りても降りて頂かなくても鳥越さんで行きます」と言い放った。
小池晃は22日の記者会見で田中の質問に対して「会いました」と事実を認めた。
枝野は「会ったこともない」(5月29日記者会見)とトボけたが、2時間後に「会っていた」と訂正した。
今回は、山本はじめ著名人に立候補の要請をしたものの断られたため、最後の最後になって宇都宮にすがりついた。
4年前に引き摺り降ろした人物を、今度は褒めちぎる。政治に離合集散はつきものだが、あまりにご都合主義と言えまいか。
人心が離れれば投票率は下がる。強大な組織票を持つ自公を利するだけだ。(敬称略)
~終わり~
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