眼前には紺碧の海が広がり、周りをこんもりとした森が囲む。まるでリゾート・ホテルを思わせる白亜の建物は、在日沖縄米軍・キャンプ・シュワブ内の海兵隊員宿舎だ。映画館などが入った複合娯楽施設も右手(東)に見える。
辺野古と呼ばれるこの一帯の海岸は海洋資源の宝庫である。ほんのわずか沖に目をやれば筋を引くように白い波が立っている。さんご礁が広がっていることを示すものだ。ジュゴンの生息も確認されている。
だが静かで豊かな自然は危機に直面することになる。1996年末、突如として日米政府がここに海上基地の建設を決定した。SACO(沖縄施設・区域特別行動委員会)最終報告に普天間基地の「沖縄本島東海岸沖」への移設が明記されたのである。
SACOは95年に起きた米兵による少女レイプ事件を重く見た日米両政府が設けた。沖縄県民の負担を少しでも軽減することがねらいだった。「SACO中間報告(96年4月)」では住宅密集地にある「普天間基地の全面返還」が打ち上げられた。沖縄中が喜びに沸いた。
ところが最終報告(96年12月)では普天間基地の移設先に東海岸沖が当てられることになったのである。間もなく東海岸とは辺野古であることが明らかになった。沖縄県民の喜びは怒りへと変わった。
橋本龍太郎首相(当時)は「普天間が返ってくるぞ」と喜んだという。橋本首相は沖縄政策で得点を稼いだつもりだったのだろうが、沖縄県民にとっては苦痛が和らいだわけではなかった。新たな火種が辺野古に持ち込まれたのだから。沖縄島内での基地の「たらい回し」は、今に始まったことではなかった。
海上基地建設の決定から8年が経つ。基地の形態も「沖合いヘリパッド」→「L字型滑走路」→ 「辺野古岬の先端(陸)をかすめるV字型滑走路」と変わった。
海上基地建設の日本側の当事者が自民党から民主党に変わったことも大きな意味を持つ。新政権誕生後も重要閣僚の意見の食い違いが基地問題の行方をさらに分かりにくくしている。
日本政府の迷走を尻目に見ているのが米国政府だ。ゲーツ国防長官は「『普天間の移設』『辺野古の基地建設』『海兵隊のグァム移転』は(3点)パッケージだ」と涼しげに話す。
ところが、冒頭のリゾート・ホテル風の米兵用宿舎は、昨年完成しているのだ。建設費は日本の思いやり予算から出ている。すでに入居済み、という。
「V字型滑走路」が完成した場合、米軍は滑走路にかかる宿舎を移転させなければならない。そのため新宿舎に早々と移ったのだそうだ。「『3点パッケージ』は譲らないぞ」とする米国政府の意志表示なのだろうか。
鳩山政権は「対等の日米同盟」を掲げ、対米追従から“卒業”しようとしている。だが、沖縄基地問題への対応を見る限りでは、米国がいまだに主導権を握っているようだ。
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