イスラエルが肉眼で見える南レバノン最南端のヴェント・ジュバイル村を訪れた。
対イスラエルの最前線である南レバノンは、イスラエルによる占領や爆撃を繰り返し受けてきた。
同村で生まれたアブ・ハッサンことムハマッド・バジ氏(75歳)の話を聞いた。
同氏によればイスラエルの侵攻は1972年から始まった。第4次中東戦争の前年である。
当時32歳だったバジ氏はレジスタンスに加わり、AK47カラシニコフ銃を手にイスラエルと戦った。
バジ氏の口をついて出てくるのはイスラエル兵の残忍さばかりだった ―
少年の目の前で父親を射殺したイスラエル兵は、少年にチョコレートを与えた。少年はチョコレートをイスラエル兵に投げつけた。
逃げ遅れた村人全員(約400人)を一ヵ所に集め、水も食料も与えずに一週間閉じ込めた。
場所は農業用水のため池だったことから村人たちは泥水のような農業用水をすすった。
村人にパンを与えている場面をイスラエルのプレスに写真を撮らせて、撮影が終わるとパンを取り上げた。
2000年にイスラエルが南レバノンから撤退したため、バジ氏一家はベイルートからヴェント・ジュバイル村に帰還した。
村人たちは祝賀パーティーを開いてイスラエルの撤退を喜んだ。
喜んだのも束の間、6年後にヒズボラとイスラエルとの戦争が没発。
イスラエルは空、陸(戦車)、海から猛爆撃してきた。爆撃で(南レバノンの)村という村は丸ごと消えた。
―バジ氏の話はここまで
筆者がガザで見たこと、サブラとシャティーラの虐殺を生き延びたパレスチナ難民の話、南レバノン住民の証言は共通する。爆撃→占領→虐殺。これがイスラエルの仕業だ。
南レバノンの住宅の大半が真新しいのに驚く。建築作業中の家も少なくない。国が建て替えを援助しているからだ。
政府は村人たちを危険な南レバノンに住まわせ続ける。盾にしているのだ。
イスラエルがシリアから奪ったまま占領を続けるゴラン高原で、最近石油が発見されたようだ。
戦争の火種がつきない地域にまた新しい火種が現れた。シリアが武力で返還を迫れば戦争となる。
バジ氏、75歳。先はそう長くない。生涯の最期くらいは平和な村であってほしい。
~終わり~
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アラブの民から見た「テロとの戦争」を取材報道するために、レバノンまで足を伸ばしました。借金です。何卒ご支援お願い致します。↓