民主主義を足蹴にした、安保法制の強行採決から5日が経つ。禍々(まがまが)しい “事件”の現場となった国会の前にただ一人座り込む年老いた男性がいた。
神奈川県伊勢原市に住む男性(73歳・年金生活者)は、7月から毎週1回、ここで座り込みを続けている。
男性が手にするプラカードには『倒憲主義はテロの導火線になる』と書かれていた。
「自衛隊が海外で武力行使すればテロを呼び込むことになる。民主主義国家でなくなれば(弾圧に反発する人たちにより)日本国内でテロが起きることもある」と意味を説明した。
昭和17年(1942年)、釜石(岩手県)で生まれた。釜石は製鉄所があったことから米軍の空襲に加えて艦砲射撃に遭った。
「(軍艦から)水平射撃するんだ」「パイロットの顔が分かるほど米軍は低空を飛んでいた」。防空壕に身を潜めていた時の恐怖体験を語る。
淡々とした口調が戦争の過酷さを物語っていた。
19日未明にあった安保法制の強行採決は自宅にいてテレビを見ていた。
「来るものが来た、という感じで特段に驚かなかった。70年かけて培ってきた民主主義を、これから戦争に向かって傾斜させていくんだなと思うと暗い気持ちになった」。言葉を噛みしめるようにして語った。
「人生の最初も戦争だった。最後も戦争にならないといいが」。遠くを見る男性の眼差しは愁いに満ちていた。
~終わり~