チュニジアの民主化運動(2010年)に端を発したアラブの春。エジプト→リビアと次々と独裁国家を揺さぶって行ったが、最後まで残っていたのがシリアだった。
エジプトは揺り戻しで相も変わらぬ独裁国家だ。リビアは狂犬カダフィが屠られたまでは良かったが、ISを抬頭させた。
最悪だったのがシリアだ。アサド独裁はそのまま続き、ISの拠点となった。泥沼の内戦は約660万人もの難民を出した(UNHCRまとめ:2020年)。死者46万5千人(シリア人権監視団体推計)。
田中はエジプト、リビアまでは現地取材できたが、シリアはパスポート没収のリスクもあり、二の足を踏んだままだった。
「国際情勢は玉突きで動く」・・・今回のアサド独裁崩壊ほど強く思い知らされたことはない。
ロシアがウクライナ戦争で体力を弱め、アサドの民兵組織でもあったヒズボラがイスラエルとの戦争で衰弱した。シリアを支える勢力が弱りきったのである。こうなると無理に無理を重ねてきた独裁体制は脆い。
ロシアは地中海への出口を失ったことで、この地域に海軍力でニラミを効かすことが難しくなった。
アサド体制崩壊を受けて、イスラエルがゴラン高原から早速シリア国境内に侵攻したとの情報がある。
「アラブの春」の結末は「アラブの冬」の始まりを予感させる。
~終わり~
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レバノン取材の大借金を抱えたまま、兵庫県知事選挙に赴きました。
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