小泉進次郎の出馬記者会見で知的レベルを問うた田中が大炎上した6日夜のことだった。小泉進次郎に詳しい友人から電話があった。友人は永田町が職場だ。
「龍作さん、もし進次郎が総理になったら記者会見に呼ばれるようになるかもしれないよ」。友人は冗談とは思えない口調だった。
「権力者から迎え入れられたなんてことになったら、俺はフリージャーナリスト生命を失ってしまうよ」。田中は一笑に付した。
「小泉さんが首相になってG7に出た場合、知的レベルの低さで恥をかくことになりはしないか?」。田中は非礼を承知で質問した。最高権力者となれば、たいがいのフリー記者は記者会見にも出席できない。極限まで厳しい質問をするのがフリーランスの役目だと考えたのである。
進次郎は自らの能力のなさを認めたうえで「最高のチームを作る。田中さんに今度お会いした時は『アイツ変わったなあ』と思われるように努力します」と答えたのだった。
政治家特有の芝居だと分かっていても、清々しい印象を与えた。
見事な切り返しで進次郎の株は急騰した。進次郎株は、しかし、ここで最高値をつけると後は落ちる一方だった。討論会などで迷回答、珍回答が続き進次郎のメッキは剥がれたのだった。
父の純一郎(元首相)が進次郎に「50歳になるまでは総裁選に出るな」と忠告したという。この話を聞いた時、戦国時代の名将・武田信玄の遺言を思い出した。
信玄は「自分の死後3年は動くな」と息子の勝頼に言い残した。1573年のことだ。
だが勝頼は父の遺言を破り長篠の戦い(1575年)に打って出た。結果はあらためて言うまでもない。織田の鉄砲隊の前に無残に敗れ、その後間もなく、武田家は滅亡した。
勝頼は「無能な世襲3代目」の代名詞となっている。進次郎はさらに劣化が進んだ4代目である。
無能な世襲が一国の首相となった時は、日本が滅亡する時だろう。(文中敬称略)
~終わり~
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