食料を求める生活困窮者の列は川のようだった。ボランティアが手渡しの配布を始めると、川はゆっくりと流れていった。
並んでいるのは、年金だけでは食べてゆけない年金生活者だ。生活扶助費だけでは食べてゆけない生活保護利用(受給)者だ。働けなくなった途端に食べてゆけなくなった元労働者だ。
我々が納めているバカ高い税金や社会保険料は一体どこに吸い込まれているのだろうか。政治に対して激しい怒りがこみあげ、同時に悲しさで泣きたくなった。
8月最後の土曜日。食料配布(主催:NPO法人TENOHASI)が行われる東池袋公園はきょうも生活困窮者たちで一杯になった。間違った政策の犠牲になった人々だ。杜撰なセーフティーネットの網の目からこぼれた人々だ。
51歳の息子と76歳の母親は地べたに腰を下ろして配布が始まるのを待った。息子はウツ病でこの春に職を失った。母親の年金と貯金を取り崩しながらの生活だ。
78歳の男性は生活保護利用(受給)者だが、扶助費だけでは食べてゆけない。都内各所の炊き出しや食料配布会場を回りながら食いつなぐ。
「カネがなくなったら惨めなもんだよ」。自嘲を込めた笑みを浮かべながら肩を落とした。
TENOHASIの食料調達はカンパで支えられているのだが、カンパは減少の一途をたどっている。他の食料配布団体に聞いても同様にカンパは減少傾向にある。
弁当を求めて列に並ぶ生活困窮者は、増えることはあっても減ることはない。
食料調達の原資となるカンパが減るとどうなるか。弁当の数を減らすことはできないので、中身のボリュームを落として対応する他ない。
上記78歳の男性のケースで述べたように、炊き出しや食料配布は都内各所で行われており、生活困窮者は月曜日=A公園、火曜日=B公園、水曜日=C公園…と回って食いつなぐ。
炊き出しや食料配布は生活困窮者にとって命綱なのである。炊き出し団体や食料配布団体へのカンパが途絶えれば、生活困窮者はメシにありつくことができなくなる。
公助が必要となる時期が早晩やってくる。その時こそ岸田政権は重い腰をあげる必要がある。
政治の最大の仕事は国民を飢えさせないことにあるのだから。
~終わり~
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