23日、空路コソボの首都プリシュティナに着くと、荷物をホテルに置き、すぐにセルビアとの国境付近に車を走らせた。
ドライバーは「国境付近では2時間前にセルビア人(武装勢力)とコソボ警察との間で銃撃戦があったんだ」と話した。なんでそんな所に行くんだ?と顔に書いていた。
「国境付近での銃撃戦はしょっちゅうだ」。ドライバーは顔をしかめた。
先だってリポートしたナゴルノ・カラバフの軍事封鎖と対をなすのがコソボ情勢である。
ナゴルノ・カラバフにはロシアが平和維持軍で駐留していたのだが、ウクライナ戦争で苦戦し軍事力が弱まったところを、アゼルバイジャンとトルコにつけ込まれた。
コソボにはNATOが平和維持部隊KFOR(兵力3,700)を駐留させ、セルビア軍によるアルバニア系住民の虐殺が再び起きないよう防いでいた。だがNATOはウクライナ戦線に力を注がねばならない。そこをセルビアは突いてきた。
マスコミ報道によるとセルビアのブチッチ大統領は先月10日の記者会見で、KFOR司令官に「コソボにセルビアの軍と警察計1,000人を入れたい。認めてほしい」と要請したことを明らかにした。
この情報に触れた時、田中は背筋が寒くなった。エスニック・クレンジング(民族浄化)の嵐が吹き荒れた1998~1999年と同じではないか。
昨年末、セルビア側のコソボ国境付近に野戦砲が据えられた。現在、どうなっているのか、確認のしようがないが、一触即発の状態にあったことは確かだ。
~急進党リーダー「核を使ってでもコソボを取り返す」~
圧倒的少数(人口の10%弱)のセルビア系住民が、圧倒的大多数(人口の90%)のアルバニア系住民を支配する・・・それがコソボだった。セルビア政府がセルビア人の軍と警察を送り込んで弾圧していたのである。現在の人口は180万人。
アルバニア系の武装勢力KLA(コソボ解放軍)が蜂起、セルビア軍との本格的衝突に発展する(1998~99年)。軍事力の差は圧倒的で、夥しい数のアルバニア系住民が隣国のアルバニアに逃れた。最大時で85万人に上る。(UNHCRまとめ)
NATOはエスニック・クレンジング(民族浄化)を止めるためセルビアを空爆した。
セルビアは降伏し、NATOはそのまま平和維持部隊KFORを駐留させた。
20年近くも前になるが、セルビア急進党のニコリッチ副党首(のちに大統領)は、田中のインタビューに「コソボには軍と警察を戻したい。核を使ってでもコソボを取り返す」と答えた。190cmの巨躯もあって真に迫った。現実味さえ感じさせた。
民族の聖地コソボを何としてでも奪還したいセルビアが、ウクライナに大戦力を傾注するNATOのスキに乗じ攻勢をかけている。
~つづく~