それはソ連型アパートの地下にあった。階段を降りて行くとカビた匂いがした。
銀行の金庫のような分厚い扉は、二重になっていた。案内してくれたユーリーさん(公務員57歳)は「核攻撃があってもいいようにしてるんだ」と話した。
広い部屋が幾つもあった。320人を収容するとあって大型の空気清浄機が備えられていた。飲料水のタンクも5~6基。
トイレは男女別々で子供用もあった。なかなかの居住環境だ。ソ連時代の1985年に建設された。
空爆があった場合、公務員やインフラ整備の担当者がこのシェルターから市民に指示を出す、という。
ウクライナは冷戦時代、核ミサイルの対西側前線基地だった。一朝事あらば真っ先に攻撃の対象となる。
首都キエフだけで4,500もの数のシェルターがあるのは、ウクライナの置かれた環境を物語っている。
シェルターはスーパーの地下にあったりする。
キエフ市役所制作のグーグルマップは4,500ヵ所すべてを網羅しており、空爆があれば、すぐに駆け込めるようになっている。
4,500のうち幾つがソ連時代に建設されたものなのか。セキュリティー上の問題もあり定かではない。
東京都内の交番の数は824(警視庁HPより)。キエフにはその5.46倍のシェルターがあることになる。驚くほかない。
東西冷戦の前線に立たされてきたウクライナの宿命だろうか。
~終わり~
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