1万3千人の遺影にウクライナの悲劇が凝縮されていた。
1万3千という数字は、ウクライナ東部のドンバス戦争で戦死した正規軍兵士、義勇軍兵士と犠牲になった民間人の数だ。
キエフ市の中心部に聳え立つミハイルヴィスカ教会の外壁には遺影が40メートルにわたって続く。
ロシアの傀儡だったヤヌコビッチ大統領をクーデターで倒そうとしたマイダンの戦い(2014年)の際、治安部隊に追われた学生たちが逃げ込んだのが、このハイリヴスカ教会だった。
ロシアの操り人形を追い出したまではよかったが、ウクライナは戦争にはまり込んで行く。
ヤヌコビッチ大統領は徴兵制を2013年に廃止した。そのヤヌコビッチは米国が資金援助したマイダンの戦いで追放された。
だが後に選挙で選ばれた親米のポロシェンコ大統領は徴兵制を復活させた。クリミアをロシアに併合され、東部ドンバス地方にも攻め込まれたからだ。
ボーダン(30歳)さんは義勇兵としてドネツク市攻防戦で戦った。友人3人が戦死した。一人ひとりを指さしながら3枚の遺影に見入った。
「もしロシア軍が侵攻してきたらどうするか?」。田中は聞いた。
「ここに残る。銃を持ってロシア軍と戦う」。ボーダンさんは友人の遺影を見据えながら唸るように答えた。
マイダンの戦いで反露闘士たちが逃げ込んだ教会の壁に、ロシアとの戦闘で命を落とした戦士や民間人の遺影が飾られる。
「マイダンはまだ続いている。これはロシアとの長い戦争なんだ」。通りがかりの市民(男性・40代)は語った。
~終わり~