そこは人情の交差点だった。
東京は赤羽の「ソーシャルコミュニティめぐりや」。昼は食堂、夜は酒場の小さな飲食店だ。テーブル席が2つ。10人も客が入れば満席になるだろうか。(定員12名)
どこにでもある飲食店が、世界にひとつしかない飲食店となるのは、営業を終えた後だ。
コロナ禍のご時世、食べて行けなくなった人々に毎晩無料の弁当を提供するのである。
店のオーナーの橋本保憲さん、マスターの弥寿子さん、店長の哲男さんが一家三人で弁当を手作りする。
食材は常連客や近所の飲食店からの寄付と店の持ち出し。弁当の提供は夜9時30分頃から始まる。
毎晩決まって一番乗りするのはケンヤさん(仮名40代)だ。覚せい剤の所持・使用で2年半服役し、昨年6月出所した。仕事を探しているのだが、なかなか見つからない。
生活に不自由していたところ、保護司から「めぐりや」の存在を教えてもらった。ケンヤさんは1日1食で暮らす。無料弁当だけが頼りだ。
オーナーの保憲さんが「2つ持って行きなよ」と勧めたが、ケンヤさんは断った。「他の人に悪いから」と言って。
ケンヤさんが去って30分後に現れたのが、カズヒロさん(仮名50代)だ。勤めていたホテルが去年9月廃業した。その後ネカフェ暮らしをしていたが持ち金が底をつき、1ヵ月前から路上生活者となった。
カズヒロさんは路上に出る前、ネカフェ暮らしの時分から「めぐりや」の無料弁当で空腹を満たしてきた。1日1食だ。
1月中頃だった。50代の男性が「100円でオニギリを作ってくれませんか?」と言って店を訪ねてきた。
ご主人が「無料ですよ」と答えると男性は「離職票を見せなくていいですか?」と聞いた。男性はコロナで職を失っていた。役所で冷たい対応をされ続けてきたのだろうか。
無料弁当は毎晩約40食作る。そのうち顔の分かる人は10人くらいだ。
それ以外の人は闇夜の中で息を潜めるようにして弁当を待っているのだろう。店の脇に置いたカゴ(写真)の中に弁当を入れておくと、5分もしないうちに無くなる。
無料弁当の提供は、橋本さん一家が夜回りで野宿者に配っていたのがきっかけだった。
昨年12月28日の夜、たまたま弁当が7~8個残ったため、店の脇に置いていたら、たちまち無くなった。需要があることを知り、毎晩店の脇に置くようになった。
昨年夏、こんな出来事があった。ある野宿者に「オニギリいかがですか?」と勧めたところ「要りません。僕はそんなものは受け取らない」と断られた。
その野宿者は今年1月2日、この世を去った。
他人の目がある。プライドもある。夜の帳の中、弁当を店の脇に置いておくのは、そこに配慮してのことだ。
「死なないでほしい」とマスターの弥寿子さんは願いを込めるように言う。
~終わり~
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