「ウチらは(魚河岸の)門前町ですから」。築地場外で乾物屋を営む業者が切実な口調で語った。
築地は移転するのか、しないのか。永田町をも巻き込んで大きな議論になっていた10年も前の話である。
「場外」とは、豊洲に移転するまで80余年にわたって東京の台所を担ってきた築地市場(河岸・場内)の外郭に広がる商店街のことだ。
プロ向けの厨房回りの品を始め、鰹節屋、昆布屋、乾物屋などが軒を連ねた。場内と場外は一体となってひとつの街を作り上げていた。
河岸と場外の関係は、京都の大きな社寺仏閣と門前に広がる土産物店の関係とよく似ている。
競り落としたばかりの魚介類を積んだターレー(軽運搬車)が魚河岸と場外の間を賑々しく行き来していた。とびきり新鮮で一流の目利きが選んだ水産物を買い手は入手できたのだ。
人間の体にたとえるなら、血液が循環するようなものだった。
2018年、市場が隅田川をはるか隔てた豊洲に移転すると、魚河岸と場外の有機的なつながりは失せてしまった。血が回らなくなったのだ。
消費者の足は徐々に遠のいていった。豊洲に行く場外の業者も少なくなかった。
築地市場(23ha)の4分の1ほどの広さがあり、全盛時は約500軒もの小売り業者がひしめていた場外はしだいに萎びていった。
場外は大型開発が入ることは間違いない築地市場跡地に隣接し、銀座からは徒歩圏内だ。デベロッパーが目を付けないはずはない。
生まれも育ちも築地という古老の水産業者は「ここら辺はどこも地上げが来てるよ」と吐き捨てるように語る。
築地市場跡地が超広大なら場外も広大だ。2017年、トランプ大統領が来日した際、メラニア夫人と昭惠夫人は築地の小学校を訪問した。
この頃は米資本のホテルが進出してくるのではないか、と囁かれていた。
日本の業者はコロナ不況でおいそれとは再開発できない。いずれ体力のある外国資本にまとめて売り渡されるのだろうか。
~おわり~