香港島の中心街金鐘(アドミラルティ)は人の波で埋まっていた。幹線道路にはテントが並び市民が占拠を続ける。
政府庁舎の出入口が塞がれているため、行政の機能もマヒしていた。
中国全人代が押し付けた選挙制度の改悪に反発した香港市民が79日間にわたって占拠を続けた「雨傘革命」から1年が経つ。
日本では当たり前にある普通選挙制度を、香港市民は求めたのである。
最も緊迫したのは10月2日夜だった。周永康・大学生聯会事務局長が「梁振英・行政長官が2日までに辞任しなければ、3日に政府庁舎を占拠する」と宣言したのだ。
その夜、政府庁舎の周辺は市民で埋め尽くされた。
警察は人民解放軍・駐香港基地と政府庁舎の間の道路を“ベース”とし、デモ隊の鎮圧に出撃していた。
盾と棍棒とペッパースプレーを持った機動隊が人々の前に立ちはだかり、庁舎突入をさせまいとした。
「ただちに解散せよ」。警察が旗を掲げたが、引きあげる人はいない。一触即発だ。
一緒に動いていた地元紙の記者が「ゴーグルとマスクを付けろ」というので装着した。
筆者の前後左右の参加者に「学生か?」と聞くと、ほとんどが「自分は労働者だ」と答えた。
占拠拠点でサラリーマンが「学生を守りに来た」と言うのをよく聞いていた。
学生リーダーの宣言通り突入するのか。24時は刻一刻と迫っていた。
デッドライン20分前となって香港政庁側は奇策に出る。「梁振英・行政長官が学生の代表と会う」というのである。
突入は見送られた。反政府運動はこの日を境にズルズルと後退していった。
日本の反安保デモをリードしたのも学生たちだった。国会前でコールする学生に声援を送る中高年の姿は少なくなかった。
国会前正門前の車道を占拠した学生たちを市民が後ろから支えた。昨日、名古屋駅西口であったSEALDs TOKAI主催の「反戦・反安倍集会」は参加者の大半が中高年だった。
「皆さんの声は議場に届いています」「皆さんの声に勇気づけられています」「国会の中と外がつながったんです」・・・議事堂正門前に駆け付けた野党議員は口々に言った。
路上からの民主主義を学生がリードし、市民が支える。それを議員が受け止める。政治の新しい形が始まっている。
~終わり~