ドネツク州の州都ドネツク市とポロシェンコ大統領が同州の新しい州都に定めたがっているマリウポリは、車で2時間弱の距離(180㎞)しかない。
ドネツク市は親露勢力が実効支配し、彼らが自称する「ドネツク共和国」の首都となっている。
マリウポリは欧米諸国に躍らされるポロシェンコ大統領がメンツにかけて守る構えだ。大統領は5日、軍に増派を指示した。
ロシアと欧米が激突する最前線。それがドネツク州だ。
筆者がドネツク市に入った7日は、ロシア革命記念日だった。巨大なレーニン像の前に多くの人々がロシア国旗を掲げて集まった。
ロシア国歌が大音量で流れるなか、レーニン像に花束が手向けられた。紛れもなくここは「ソ連」だ。
180㎞南のマリウポリではレーニン像が見当たらない。1ヵ月前、人々が引き倒したのだ。ソ連の否定である。
親露武装勢力とウクライナ軍の攻防が続くドネツク空港は、市中心部に近い。車を飛ばせば10分前後だ。
「ドドドド」「ヒュルヒュル・ドーン」…空港は林に遮られていて戦闘のようすをこの目で見ることはできなかったが、激しい砲撃戦となっていることだけは分かった。
空港周辺は切れた電線が道路上に横たわり、アパート群は もぬけ の殻だ。人の匂いがしない。戦場特有のゴーストタウンである。
ドネツク市内には砲撃を受けた施設が目立つ。
3日前(11月5日)にもドネツク市内の高校で昼休みにサッカーをしていた生徒らが砲撃を受け、2人が死亡、4人が負傷した。(AP通信)
ウクライナ東部の戦争では、すでに4千人以上が犠牲となっている(国連、ウクライナ政府統計に基づく)。ドネツク州からの脱出者は後を絶たない。
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)によると、20万7千人がロシアに難民申請し、18万人が滞在許可を求めている。
ドネツク市周辺に取り残された人々に向けては、大量の人道支援物資がロシアから届く。
筆者が訪れた日は、サッカースタジアムで「子供用の食料とオムツ」が支給されていた。1日に600~700セットが出るという。
2歳の子供を抱いた母親は「最近は物不足だし、物価も高くなっているので、配給はとても有難い」と顔をほころばせた。
ソ連軍によるベルリン封鎖(1948年)では、米英の輸送機が、困窮する西ベルリン市民に食料や医薬品などを投下した。
今回はロシアのトレーラー大編隊が人道支援を行っているのだ。
ベルリンの壁崩壊から明日(9日)で25年が経つ。4半世紀を経て東西冷戦が蘇った。それもホットな東西対立となって。