チェルノブイリ原発から西へ約150キロのナロジチ村を訪れた。針葉樹と広葉樹の入り混じった森が広がり、牛が牧草を食む平原を川が流れる。そのまま一幅の絵画になるような景色だ。
1986年4月26日を境に風光明媚な村の様相は一変する。風が運んで来たのか、あるいは放射能雲がもたらしたのか。大量の放射能が村に降り注いだのである。30キュリーを計測したという記録が残っている。いわゆるホットスポットだ。村人は2週間後、一斉に避難した。
村は現在、移住権利区域(※1)と移住義務区域(※2)に指定されている。村人はいったん帰還したものの次々と村外に移住していった。村役場によれば事故前に8,000人いた人口は、現在3,500人にまで減った。
ゲラシモバ・オレナさん(主婦・54歳)はチェルノブイリの事故当時、妊娠4ヵ月だった。事故が発生したことは知っていた。だが原子力発電所から遠く離れたナロジチ村が放射能で汚染されたことは、2週間後に避難させられるまで全く知らなかった。
オレナさんは、自宅で飼っていた乳牛のミルクを飲み、鶏の卵を食べた。庭の野菜も口に入れた。6ヵ後に生まれたのは、心臓に疾患がある男の子だった。
「将来、子供たちがこんな悲惨な目に遭わないことを願っている」。オレナさんは涙を拭いながら語った。
DNA傷つき遺伝する無限地獄
「49歳の男性が心臓の病気で死に、昨日葬式があった。あっちの家の35歳の男性は3日前に死んだ。心臓疾患や脳溢血で死ぬ人が多い。子供は病気にかかりやすくてね」。庭先の枯葉を掃きながら老婆は話した。村の墓地を訪れ墓標を見ると、30代、40代で鬼籍に入った人が目につく。
子供の健康が気にかかった筆者らは、ナロジチ中央国民病院を訪ねた。「生まれつき心臓に疾患を持った子供や頭の大きな奇形児が目につくようになった。100%とは言えないが、チェルノブイリ事故の影響と考えられる」。こう語るのは小児科副部長のミシュク・オレナ医師だ。
「母親が放射能汚染された村の食材を口にしていたからですか?」
「いいえ、遺伝が原因です」。
今の子供たちは、事故当時親だった世代の孫にあたる。祖父母のDNAが放射能で傷つけられ、それが父母に、そして孫に遺伝するのである。無限地獄ではないか。
小児科部長のマリア・パシュク医師は「完璧に健康な子供はいない」と言い切る。「子供たちは肺、胃腸、腎臓などに疾患を持つ。風邪をひくと余病を併発しやすい」と続けた。
「チェルノブイリ事故による放射能の影響ですか?」
「(ウクライナ)保健省はチェルノブイリ以外の原因は認められない、としている」。マリア医師は説いて聞かせるように話した。
事故当時ナロジチ村に降った30キュリーは約3μSv/hにあたる。日本政府はそれよりも高い「3・8μSv/h ( 20mSv/y)以下」の地域に人々を居住させているのである。
子供のみならず福島の人々の数年後、数十年後の健康状態が気がかりだ。
マリア医師によれば、「福島周辺の医師28人が先月ナロジチ村に視察に訪れた」という。医師たちがホットスポットでの住民の健康に関心を持っていることだけは確かなようだ。子供の避難に役立たせるのかは、ともかくとして。
《文・田中龍作 / 諏訪都》
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※1
555kBq/㎡~185kBq/㎡
※2
1480kBq/㎡~555kBq/㎡
※1、※2とも政府が引っ越し費用を持ち、家を買い取る。