バレンティナさんの息子のヴラジミールさん(59歳)は、母親の面倒を見るために月の半分以上この立ち入り禁止ゾーンに住んでいる。キエフには支給された家があり、家族もいるが、こちらの生活の方がいいと言う。
「キエフに居てもやる事がない。こちらの暮らしの方がいい。この間、山で大きな鹿を見たよ。夜はフクロウがよく鳴いている。ウクライナの絶滅危惧種のコウノトリもたくさん帰ってきたんだ」。自然の中での生活を、目を輝かせながら話してくれた。
ヴラジミールさんは、リクビダートル(※)の一人だ。原発事故があった時は、溶接工として働いていた。
「体の調子はどうですか?」
「私は元気だよ。でも、仲の良かった友達6人の内、生き残っているのは2人だけ。この2人も心臓の病気がある。私は前向きだし体が丈夫だからね」。
そう言って、おどけてみせるヴラジミールさんだったが、優しい笑顔が何とも寂しそうだった。
サマショールはほとんどの食料を自給している。バレンティナさんの畑でも、じゃがいも、玉ねぎ、キュウリなど何でも作っている。魚は近くの川から、きのこも山から取ってくる。
「放射能の汚染は心配ないのですか?」。
「畑の土は87年に検査した。きのこも魚もどんなものが悪いか分かるようになったから大丈夫」。
30キロ圏内で森への立ち入りは禁止されている。「放射能マーク」の立て札が至る所にある。その森から採れるきのこが汚染されていないとは信じがたい。
ガイドの説明では、30キロ圏内の食品は厳重な管理下にあるとの事だった。十分とは言えない年金で食料をすべて買う事はむずかしい。何よりも、大地の恵みを存分に受けて生きて来た彼らから、その生き方を奪う事は出来ないのだ。
「今の生活はさみしくないですか?」筆者はバレンティナさんに聞いた。
「・・・どうしても家に戻りたかったから。周りに友達もいるし、教会には神父もいるよ。孫も遊びに来るんだ」。
孫のことを嬉しそうに話すバレンティナさんだったが、息子のヴラジミールさんに尋ねると、「子どもは来たがらない」と明かした。
時間に追われながらの一時間程度の訪問だった。取材を嫌がるサマショールもいる中、彼らは突然現れて質問を浴びせる筆者らを温かく迎えてくれた。
「福島第一原発で、また問題があったと聞いたよ。大丈夫なのか」。ヴラジミールさんは、3号機の水漏れのニュースを心配していた。
チェルノブイリ原発事故によって一度は故郷を離れたものの、街に適応できずに居住禁止区域に戻ってきた2人は、同じ境遇に苦しむ福島の人々を深く気にかけていた。
帰り際、車が見えなくなるまで手を振る年老いた母と息子の姿が、今もまぶたに焼き付いて離れない。~おわり~
《文・諏訪都》
※
リクビダートル:チェルノブイリ原発事故の収束にあたった事故処理作業従事者。総数60万人から80万人といわれる。
◇
郵便振替口座できました。詳しくはページの右肩をご覧ください。『田中龍作ジャーナル』が読者のご支援により維持されています。