カブレナ(菜ノ花の一種)の黄色い花弁が、初夏の風を受けて揺れていた。
いつもの年であれば、食用となる葉や茎を3~4月に摘み取っているのだが、今年は放射能の影響で出荷も自宅で食べることもできない。そのため花を咲かせてしまったのである。
田植えを終え青々と広がる水田の風景も今年は消えた。春先に「田起こし」した赤黒い地肌が代わりに広がる。飯館村は季節が止まったままだ。
「田んぼ、作れねえのが一番がっかりしたわなあ」。吉野サトさん(仮名)は恨めしそうに田んぼに目をやる。サトさんは生まれも育ちも飯舘村。85年間生きてきて田植えができなかったのは今年が初めてだ。
稲作ばかりではない。ホウレン草、ニンニクなど野菜もすべてダメだ。酪農も全戸休業する。1800戸のうち農家が1400戸を占める飯舘村は、村の主産業が停止に追い込まれたのである。
【進まない全村避難】
飯舘村は「計画的避難地域」に指定され、これまでに全人口6,590人の半分にあたる3,206人が村外に避難した(5月20日時点)。
最終的には8事業所(老人ホーム、金型製作所など)を除いて村民全員が避難することになっている。事業所のスタッフは村外から通うため、村に残るのは老人ホームのお年寄り110人だけとなる。
全村民が避難する期限は5月31日となっているが、不可能だ。仕事の都合で村外から簡単に通えなかったりする人が少なくない。お年寄りにとって長年住み慣れた地を離れるのは、身を切られるように辛い。人間関係も失う。前出の吉野サトさんはまだ避難先さえ決まっていない。
ある村議会議員は「(全村避難は)そう簡単には行かない」と明かした。老人ホームの110人を除く全村民の避難は1か月遅れて6月末になるのではないかとの見方もある。
【放射能に色でもついていれば】
いつになったら村に帰還できるのか基準はない。「難しくて不安なところ」とサトさんの息子(農業・60代)は眉をしかめる。
土壌に付着した放射性物質は容易になくなるものではない。文科省の調査では飯館村の土壌から高濃度のセシウム137(半減期30年)が検出されている。
水田は3年で稲作不能になると言われている。虫やモグラが入り、笹竹が根を張ったりするからだ。表土を取っただけでセシウムなどの放射性物質を除去できるのか。
原発事故は事実上収束のメドがつかない。福島原発からたなびく白煙は今なお放射性物質を撒き散らしている。農民の不安は募る一方だ。
「放射能に色でも付いてたら良かったんだけど、付いてねえから、わかんないんで困っちゃうわなあ」サトさんはあきらめきれない様子で嘆いた。「ここさ、こんなになるとは思ってなかった」。