膵臓ガンで死去した翁長雄志・沖縄知事の告別式がきょう13日、那覇市の大典寺で営まれた。地元政財界はじめ中央政界からも多数の弔問客が訪れた。在日米海兵隊からはトップのエリック・スミス中将が参列した。
辺野古・新基地建設に反対して鳩山内閣を離脱した社民党の福島みずほ副代表は、翁長知事の盟友でもあった。記者団に囲まれると「なぜこんな死に方をしなればならないのか? これは殉職だ」と怒りを表した。
安倍政権は、工事に遅れが出た場合、知事個人を相手取って損害賠償請求することもあるとしていた。請求額は億円単位となる。官邸が司法を支配する現実を考えれば、請求は認められるだろう。脅しを越えた拷問だ。
それでも翁長知事は、仲井真前知事による埋立て承認の撤回を表明したのである。安倍政権を相手に討ち死にしたと言ってよい。
弔問客の中に鳩山由紀夫元首相の姿もあった。辺野古・新基地建設は鳩山政権時(2009〜2010年)に決まった。「(米軍基地は)最低でも県外」と唱えていた鳩山首相は防衛官僚と外務官僚に騙されて県外移設を断念したのである。
田中はこの件を鳩山氏に問うた。氏は「なぜ(官僚の騙しを)見抜けなかったのか。返す返すも残念。翁長さんに顔向けならない」と答え唇を噛み締めた。
辺野古埋立てを海上で阻止する抗議船船長の北上田毅さんも参列した。「辺野古の地盤は豆腐のように軟弱で護岸が崩壊する恐れがある」…撤回表明の重要根拠は北上田さんが情報公開請求で引き出してきたものだ。
「政治家が死んで泣いたことはこれまでなかった。無念だ。力を再結集して(辺野古埋め立て反対を)戦い抜かなくてはならない」。北上田さんは目を潤ませながらも表情を引き締めた。
沖縄を守るために命を削った翁長さんを偲ぶ市民が引きも切らず弔問に訪れた。
宜野湾市から車を走らせてきた女性(30代)は沖縄国際大学のすぐ近くに住む。14年前のきょう(8月13日)、米軍ヘリが墜落した時は、米軍が非常線を張り、家に帰れなかった。
彼女は「翁長知事が(8日に)亡くなってからというもの毎日のように泣いていた」という。
「私たちの意見をまとめて政府に言ってくれる人だった。翁長さんが政府にもの申した時は『それ言いたかった。それ言いたかった』と共感していた。翁長さんが国に対して話しているというより、私たちが国に話している、という感じだった」
「翁長さんに教えてもらったのは『誇りある豊かさ』。命が危険にさらされるような所に住んでいて経済だけ豊かになっても、本物の豊かさではない」。
対米売国の安倍政権に痛めつけられて命を削った真の保守政治家は、沖縄県民に惜しまれながら彼岸へと旅立った。
~終わり~