政治資金規正法違反で強制起訴された「国民の生活が第一」の小沢一郎代表に控訴審判決が言い渡される東京高裁102号法廷に入るや我が目を疑った。
傍聴席の半分に、「報道記者席」と書かれた白いビニールシートが麗々しくかけられているのである。正確に言うと全98席のうち41席が記者クラブ様御席だ。普通の国民は早朝から並んでも、傍聴券を手にするのは宝クジに当たるようなものだ。法の下の平等が裁判所から崩れているではないか。
怒りが脳髄にこみ上げた筆者は声をあげた。「裁判長、傍聴席の半分が記者クラブ席というのでは、公判廷とは言えないではないですか?」。一般傍聴席からも「民主的にやってくれよ」との声が飛んだ。裁判長はすかさず「静粛にして下さい」と注意を与えた。
それにしても司法から記者クラブへの便宜供与には驚く。判決文の朗読が始まってもクラブ詰めの記者たちはペンを走らせない。判決文は後ほど検察あるいは裁判所からもらえるのだろう。30年前は裁判所が判決文のコピーをクラブ詰めの記者に渡していた。
期日簿をノートに写すことができるのも記者クラブの特権だった。期日簿とは民事、刑事問わず、今後の裁判予定がすべて書き込まれている帳面のことだ。
記者クラブは裁判所から多大な便宜供与を受ける代わりに判決について批判めいたことは書かない。判決を批判したような記事を見かけたことはほとんどない。
裁判所は検察の主張をほぼ認める。記者クラブは検察リークを受けて書き飛ばす。抑止機能なんてあったものじゃない。この国の司法はほとんどすべて検察の言いなり、と言ってよい。
陸山会事件で東京地検は小沢氏に有利な証言は隠し、不利となる証言を捏造した。捏造に関与した現職(事件当時)の検事や次席検事が公文書偽造などの罪で逮捕、起訴されている。
検察が捏造調書を検察審査会に送り、検察審査会はそれをもとに小沢氏を強制起訴したのである。デッチあげ裁判そのものだ。検察による捏造が明らかになってからもマスコミは小沢氏を限りなく黒に近い灰色のように扱ってきた。
小沢氏が検察と記者クラブの両方から目の敵にされていたので、検察審査会を利用したイカサマが罷り通ったのである。陸山会事件は検察と記者クラブが一体となって作り出した冤罪だった。
小沢氏の控訴審判決公判はきょう午前10時30分に開廷した。小川正持裁判長が「被告人は前へ出て下さい」と小沢氏を促した。裁判長が「控訴を棄却する」と告げると小沢氏は軽く一礼した。
検察官役の指定弁護人らは一様にがっくりきた様子だった。ある者は天を仰ぎ、ある者はうなだれた。いずれも苦渋の表情を浮かべた。
紺のスーツに青と赤のレジメンタルタイ姿の小沢氏は、背筋を伸ばしたまま表情ひとつ変えず判決に耳を傾けた。
検察側(指定弁護人)からは一審を覆すような新しい証拠は何ひとつ出ず、法廷はたった一度開かれたきりだった。無罪は素人目にも明らかだった。
西松建設事件(2009年3月)に端を発した陸山会事件は、3年近い膨大な時間を無駄に費やした。政権交代をはさんだこの間の政治的混乱を考えれば、無駄などという言葉で括れないほど日本の政治を傷つけた。
検察官役の指定弁護人には、徒に上告しないことを願うのみである。
《文・田中龍作》