NATO首脳会議が11日からリトアニアで開かれ、岸田首相もゲスト参加したが、東京事務所開設は見送られたようだ。
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「NATOに入りたい」。腰の曲がった白髪の男性が、旗を掲げてデモに参加していた。ソ連支配下にあったウクライナは、食料を奪われ少なくとも四百万人もの餓死者を出し、レーニンの悪口を言えば投獄された。
軍事同盟に入れば、ロシアから易々と攻め込まれずに済む。ソ連時代を知る人々の切実な願いだ。
首都キーウであったデモから12日後にロシアはウクライナに軍事侵攻してきた。民家に押し入ってきたロシア軍に食料を奪われ、村人たちは撃ち殺された。
軍事同盟は、日本の戦国時代を考えると分かりやすい。一国だけだと強国に滅ぼされるので、集団になって守りを固めようという戦略だ。
NATOは帝政ロシアの時代から散々な目に遭ってきたヨーロッパの国々の自衛組織なのである。
「じゃあ、NATOはどうして東方拡大するんだよ? ベーカー国務長官がゴルバチョフに『東方拡大しない』って約束したじゃないかっ!」・・・反米原理主義者は口を尖らす。
ベーカーはそんなことを言っていない。ソ連崩壊を前に東西ドイツの統一が避けて通れない状態になっていた頃の会談だ(1989年2月、モスクワ)。
ベーカーはゴルバに問う。
「統一後のドイツを(当時の西ドイツに駐留する)NATOの枠組みの中に留めておくか」それとも「(NATOにも加盟させず)独立した存在にしておくか」。
統一後のドイツをNATOの枠組みに留めずに自由にさせたらどうなるか。第2次世界大戦の惨禍を振り返れば、答えは言うまでもない。
NATOの東方不拡大はあくまでも統一ドイツ内の話だったのだ。
それをプーチンが都合のいいようにネジ曲げ、日本のナイーブなインテリや一部の国会議員が信じ込んだ。
もちろんエマニュエル・トッドなる歴史学者のインチキ本の中にもプーチンの呪文は出てくる。
1945年8月16日、スターリンはトルーマンに書簡を出した。「北海道(本島)の北半分を占領したい」と。天皇の玉音放送があった翌日のことだ。
トルーマンが断らなかったら、北海道の北半分はソ連に占領され、日本は東西ドイツのような分断国家となっていた。
言論の自由はなく、極ひと握りの特権階級のみ潤う東ドイツから、自由で豊かな西ドイツに脱出を図ろうとする人々は容赦なく射殺された。
もし日本が分断統治を経験していたら、日本人は冷徹な国際情勢を身をもって学んだはずだ。お花畑国家にはなっていなかっただろう。
外交と防衛をアメリカに任せきりにしたために日本人は自分の頭で政治を考えることをしなくなった。現在の窮状はここに起因する。
NATO東京事務所開設以前の問題である。
~終わり~
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