タハリール広場に入るには軍のチェックポイントを通過しなければならない。2月7日頃からだった。軍が広場に入る外国人ジャーナリストに対して「エジプト政府の記者証を取得するように」と言うようになった。それまでパスポートと自国の記者証を見せれば、すんなりとOKを出していたにもかかわらずだ。
チェックポイントの指揮官は「先に取りに行け」という。「すぐに出るのか?」と聞くと「翌日発給される」という。
革命の震源地であるタハリール広場に入らないことには仕事にならない。さあ大変。カイロに支局を置く大手メディア以外のジャーナリストは皆、エジプト政府発給の記者証取得に走った。エジプト政府のプレスセンターは国営放送ビルの2階にある。
プレスセンターは外国人記者たちでごった返した。身分証明書用写真を本国から持たずに来た記者は大弱りだった。騒乱でカイロ市内の商店は悉くシャッターを閉ざしている。営業している写真館を探すのは至難の業だ。
プレスセンターの壁にはムバラク大統領(当時)のパネルがデカデカと掲げられていた。この国のプレスもムバラクに支配されていることを象徴していた。筆者は写真を撮りたくてウズウズしたが、見咎められたら記者証は発給されなくなるだろう。はやる気持ちを抑えた。
筆者の記者証申請を受け付けた担当者(40代女性)は「明日出る」と言った。翌日の午前中は控えゆとりを持って午後、記者証を受け取りにホテルから国営放送まで足を運んだ。
担当の女性は「夜になる」と言った。“エジプト時間”と諦め、1日以上待つことにした。2日後に行くと件の担当者は涼しい顔で「Not yet」。
筆者が驚く顔をすると「彼らは先週の土曜日から待ってんのよ」と欧州のジャーナリストたちを指差した。
真っ赤なウソである。軍が「エジプト政府の記者証を取るように」と言い始めたのは週明けの月曜日からなのだ。
エジプト政府発給の記者証がなくても広場の西側ゲートからは入れた。軍はチェックしなかった。筆者はじめ多くの外国ジャーナリストは西から入った。
タハリール広場で顔を合わせる外国人ジャーナリストたちに「記者証を取ったか?」と尋ねたが誰一人として「取った」と答えた記者はいなかった。
タハリール広場には連日数万人~数十万人の市民が集まり「ムバラク打倒」を叫んでいた。エジプト国営放送は「集まったのは300人」と報道していた。
外国人ジャーナリストはありのままを伝える。親ムバラク派の住民は「お前たちが革命、革命と煽るからこうなったじゃないか」と叫んで外国人記者をボコボコにしたり軍に突き出すなどしていた。
エジプト政府のプレスセンターは外国人ジャーナリストの取材活動を妨害するため、出す気もないのに記者証取得のために足を運ばせたようだ。
癒着し合った身内は構わないが、外国のジャーナリストが来て真実を明らかにされると困る。身内以外は排除する日本の記者クラブ制度と同じシステムがエジプトにもあった。
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