「ムバラク大統領が間もなくステップ・ダウンをアナウンスする」、CNNテレビが速報すると筆者はカメラをひっつかんでホテルを飛び出した。通りはタハリール広場に向かう人々の洪水だった。車のクラクションがけたたましい。
青年たちが「打倒ムバラク独裁」をネットで呼びかけ合い蜂起したのは1月25日。それから17日が経っていた。
筆者は蜂起初日から戦車の前に座り込んでいた男性(7日掲載「戦車にひき殺されようとも」)にどうしても会いたかった。広場はすでに人の海と化しており、戦車前にたどり着くまでは30分近くかかった。
やっとの思いで男性に会うと、「コングラッチュレーション」と声をかけた。
男性は「まだ信じられない」としながらも「1にムバラクが出て行くこと、2に自由、3に民主主義」と話した。顔は上気している。
一緒に戦車の前で体を張った別の男性の言葉が独裁体制の根深さとそれへの反発を物語っている―「政府各省の人間をすべて変えなければならない。彼らはムバラクと金でつなっがっている。彼らの権力は非合法なのだから」。
カイロ大学の男子学生(21歳)の言葉は、今回の市民革命の性格を象徴していた―「僕もフェイスブックの呼びかけで革命に参加した一人だ。ノーモア・ミリタリーレジーム。ノーモア・ディクテーターシップ」。
彼の傍にいた71歳の画家がいみじくも言った。「これは青年たちの革命だ。我々の世代の革命ではない」。
この時点まで半信半疑とはいえ、人々は歓喜に沸いていた。局面は一転する―
「ムバラク大統領のステップダウン」を伝えるCNNの第一報から2時間後、大統領は国営放送を通じてテレビ演説をした。「権限はスレイマン副大統領に譲るが辞任はしない」とする内容だ。
タハリール広場には天を突きあげるようなブーイングが起きた。連日、広場に響いていた「ムバラク、ゴーアウト」のシャンテは血を吐くような叫びと変わった。
「ムバラク打倒派」は11日、大統領宮殿に向けて大規模デモをかける。大荒れとなるのは必至だ。軍の対応しだいで市民革命の行方が決まる。
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