一番会いたくない相手と とうとう 会うハメになった―
原子力規制委員会の田中俊一委員長が、きょう、泉田裕彦氏と会談した。新潟県知事ではなく全国知事会・防災委員長(※)としての泉田氏とである。
泉田知事は「住民の避難対策が不十分なままの原発再稼働はありえない」として田中委員長に面談を求めていた。原子力規制庁の発足直後からだから3年越しとなる。
しかし田中委員長は、避難対策は自治体が決めること、として面談を断り続けてきた。
経産省資源エネルギー庁出身で、原子力行政の手の内を知る泉田知事は手強い。田中委員長は逃げていたのだ。
きょうの会談でも攻める泉田知事に対して田中委員長は防戦一方だった。泉田知事はヨウ素剤の配布、SPEEDIの公開など避難にあたって必要なものを求めた。田中委員長からは明確な答えが返って来なかった。
田中委員長はノラリクラリとかわせるものとタカをくくっていたのだろうが、そうは問屋が卸さなかった。3年間、業を煮やし続けた知事が強烈なアッパーカットを見舞ったのだ―
泉田:「田中委員長が『原子力避難計画を作ること自体は規制庁の仕事ではない』と発言したと承知している…(中略)…山谷(えり子・防災担当)大臣からも望月(義夫・原子力防災担当)大臣からも『(それは)規制庁の仕事なのでお伝えしておきます』言われている。このあたりの仕事は規制庁の仕事と考えてよろしいか?」
田中:「いや、必ずしも私がここで一存で決められることではないので、検討させて頂く・・・」
泉田:「(緊急時の避難作業において労働安全法と原子力災害対策指針との法整備が必要なので)勧告権の行使をしていただけないでしょうか?」
田中:「いや、勧告権というのは、法的には私ども持っていますけど、やたらとそれなりに意味のある勧告でないと。勧告したけれども、勧告しただけでは私としても本意ではない」。
田中委員長の答えは理屈になっていなかった。声はふるえ、時おり吃った。手は机の上でバタバタと躍った。明らかに狼狽していた。
田中委員長にとっては途方もなく長い30分間だった。面談の後、泉田知事だけが、ぶら下がり記者会見に応じた。
「勧告権をなぜ使わないのか、相変わらず分からなかった。必要なものは各省庁に勧告権を行使してほしい」。泉田知事は田中委員長の消極的な姿勢を批判した。
筆者は質問した―「田中委員長の姿勢からは、原発を動かすことの危機感、万が一の事故があった時の危機感が感じられたか?」と
泉田知事は次のように答えた―
「規制委員会のミッションは何なのか? 制度設計をした際に規制委員会の果たすべき役割は国民の生命・安全を守ること。(なのに)住民目線というところのお話が必ずしも伝わってこなかったなというのが印象だった」
「住民の健康を守るという視点で何が必要か、まず勧告を出すという姿勢がないと。政府から独立して勧告を出すという本来の役割が果たせないんじゃないか。規制委員会は独自の立場で言えるという事でないと保安院時代と変わらない」。
7月29日、山本太郎議員が国会で弾道ミサイルが原発を直撃した場合の被害を質問したところ、田中委員長は「(そうしたことは)規制にない」と答弁した。この問題について筆者は知事に聞いた。
泉田知事が明快に答えた―
「政府部内を規制委員会がしっかり統括するしくみができていない。原発が攻撃されたらどうなるかという被害想定を外務省が過去やっている。内部文書も存在している」
「田中委員長が知らないということであれば、日本の原発の安全性の確保というのは、一体どうなっているのか?」
住民の安全を第一に考える泉田知事と見切り発車で原発を再稼働させた田中委員長の初顔合わせ。この会談で原子力行政のいい加減さがモロバレになったことは、じつに“有意義”だった。
~終わり~
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正式名称は「全国知事会危機管理・防災特別委員会委員長」。
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