
海外のジャーナリストたちはガザに入域できないため境界線上から伝える他ない。隔靴掻痒の感がある。=2023年10月、ガザボーダー 撮影:田中龍作=
ガザ地区と隣接するイスラエル最南部のキブツ(集団農場)で繰り広げられていた音楽祭は、一瞬にして惨劇へと変わった。惨劇は地獄絵巻の序章に過ぎなかった。
ハマスの戦闘員がフェンスを突き破ってイスラエル側に侵攻、音楽祭を楽しんでいたユダヤ人ら約1200人を殺害、251人を人質に取った。2023年10月7日のことだ。
事件の発生をBBCで知ると田中はすぐに飛行機の切符を予約した。イスタンブール経由テルアビブ行きである。
荷造りをしていると航空会社から田中の携帯に連絡があった。イスタンブールからテルアビブまでの飛行機が飛ばなくなったというのである。
田中はイスタンブールではないが、とりあえず第三国まで出てテルアビブ行きの飛行機が飛ぶのを待った。

現地から送られてくる写真は生々しい迫力がある。=2023年10月、ガザ 撮影:ハッサン・ムハンマッド氏=
ハマスのロケット弾が飛んで来るイスラエルに飛ぶような航空会社はない。軍用機並みの安全装備を施したイスラエルのエルアル航空が飛ぶのを待つ他なかった。
テルアビブに着いたのは開戦から10日近く経っていた日の夕方だった。翌朝、ガザに向けて取材車を走らせたが、イスラエル軍は外国人ジャーナリストの入域を許可していなかった。
取材制限は今なお続く。開戦の翌月、イスラエル軍のプレスツアーがあり、ドイツの記者が「取材制限は報道の自由に反する」と抗議したが無駄だった。田中も同様の質問をしたが「安全上の理由」を盾に却下された。
今年8月にはネタニヤフ首相の記者会見で各国の記者が「取材させろ」と迫ったところ、翌日にガザのジャーナリストたちが爆撃に巻き込まれて死亡した。それもダブルタップという確実なヒット方法で。
「お前らこうなりたいのか」というネタニヤフの脅しだった。

アフガン戦争(2001年~)で戦車から振り落とされたジャーナリストが死亡する事故があったが、兵器に近づかないことには取材にならない。=2023年11月、ガザボーダー 撮影:田中龍作=
ガザのパレスチナ人ジャーナリストが頑張っているが、満足に栄養を摂れていない彼らの体力には限界がある。
もっと多くの映像や文字情報があれば、伝えられる惨劇は質量ともに、現状を圧倒的に上回るはずだ。引き換えにジャーナリストの死者も増えるだろうが。
ブラックボックスとなっている部分の方が多いのではないだろうか。
あの日から2年が経つ。人間の仕業とは思えないイスラエル軍の猛攻により、これまでに6万7千人余(4日時点、ガザ保健省まとめ)のガザ住民が死亡した。
~終わり~
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