キーウの北西隣の街イルピン。ここが落ちれば、ロシア軍の首都入城となる。ウクライナにとって最後の砦でもあるイルピンは陥落寸前の激戦地だった。
3月13日、田中はロシア軍が見える位置まで進もうとした。
「パン・パン・パン・パン・パーン」。数十メートルも前進すると、カラシニコフAK47の発射音が背後から響いた。背後はウクライナ軍陣地である。
前方(方角としては北西)にロシア軍がいることは確かなようだった。
フィクサー(案内人兼通訳)のチェルネンコ(仮名)が「ミスター田中、もっと腰を落とせ」とジェスチャーを交えて怒鳴った。声を張り上げないと聞こえないほど銃声と砲声が賑やかだ。
チェルネンコは顔をニコニコさせていた。田中は逆に怯んだ。彼は折に触れ「アンタの命は俺が守る」と繰り返していたからだ。責任感の強い男だった。
ロシア軍が撃ってきたら田中に覆いかぶさる位のことはしかねない。フィクサーを死なせるような不名誉なジャーナリストにはなりたくなかった。
田中は一時退却を決めた。鉄筋コンクリートの構造物の影に入った。ほんの一足先にウクライナ軍兵士が担架を運んで来ていた。担架の上の男性はピクリとも動かなかった。こと切れていることは疑いようもなかった。
きれいな遺体だった。砲撃で殺られたのではないことは確かだ。後になって首を撃ち抜かれたと知る。
死亡したのは米国人ジャーナリストであることを、その場にいたウクライナ軍兵士から聞いた。
ロシア軍が陣取る前方にあのまま進んでいたら、担架に乗せられていたのは田中だったかもしれない。
田中の命はチェルネンコが救ってくれたようなものだ。(文中敬称略)
~終わり~