「行方不明の3人は殺されたのではないか」-
8月31日、機動隊が太子駅構内で乗降客を手当たりしだい殴打する事件があった。
駅構内が屠殺場となったのではないかと錯覚するほど残忍な光景だった。不完全ながら残っている映像がそれを示す。
監視カメラであれば、一部始終記録されているはずだ。香港市民が7日、監視カメラが記録した映像の公開を求めて太子駅構内で集会を開いた。
集会は夕方7時30分から始まる予定だったが、早くも昼過ぎから始まった。7日が監視カメラ映像の保存期限だからだ。
「港鐵交片、還我真相(香港MTRは真相を明らかにせよ)」「殺人犯」…集まった人々は絶え間なくシュプレヒコールをあげた。
オジイ、オバア、オッサン、オバサン、セーラー服の女子中学生が声を限りに叫んだ。
だが、MTRは午後5時15分、駅を閉めた。映像の公開を拒否したのである。
参加者は追い出される格好で駅の外に出たが、間髪を入れず駅頭で集会を再開した。
駅頭は旺角警察署に隣接する。仕事帰りの労働者、学校帰りの学生・生徒が次々と押し寄せ、旺角警察署前は民衆に包囲された。
「香港の8月31日は北京の6月4日だ」。駅頭にプラカードがあがった。
「北京の6月4日」とは天安門事件(1989年)のことである。駐北京・英国大使館の調査によると1万人超が殺害されたにもかかわらず、中国共産党の発表では死者319人。
中国共産党に倣ったのか。香港警察の発表では「ケガ人10人で死亡者はなし」である。
「中国返還前の香港警察は手荒なことはしなかった」。100人のうち99人までがこう話す(例外の1人は親中派)。
中国に対する恐怖と反発から、香港市民は8月31日の事件を天安門事件にオーバーラップさせる。
暴行(殺人)事件を引き起こした旺角警察署を包囲した民衆は激しい怒号を浴びせた。
警察署前の大通りを行く車は、怒号のリズムに合わせてクラクションを鳴らした。耳をつんざくほどのけたたましい音が警察への怒りを表していた。
居たたまれなくなったのか。機動隊1個小隊が飛び出してきた。ガチャガチャと楯を鳴らし威嚇しながら突進してきたのだが、「黒社會」「黒社會」とシュプレヒコールをあげながら前進する民衆に押し戻された。
警察署前に築かれたデモ隊のバリケードは、奥に長くなった。民衆が連なったのである。
機動隊は催涙弾やビーンバッグ弾などを連射し、デモ隊と民衆を追い払おうとした。
オバアが銃口の前に立ちはだかった。中国返還後、狂暴になった警察の性質を知る地元記者がオバアをつかんで危険な場所から遠ざけた。
機動隊はデモ隊を追って、一駅隣の街まで進撃した。ここでも勤め帰りや買い物客などが激しい怒号を浴びせた。大通りに繰り出し機動隊を追い詰めていった。
9月6日、香港市民が総出で戦い、中国共産党の圧力をはね返したのである。
~終わり~
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香港の自由を守るために、逮捕されることも、撃たれることも顧みず、決死の覚悟で抵抗を続ける人々の姿を伝えるために、現地まで足を延ばしました。
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