「(政府側の)スナイパーも市民を撃ちたくなかったんだよ。だから街灯の柱をめがけて撃ってきたんだ」。ウラジミールさん(55歳)は、柱に残る弾痕を一つひとつ指し示しながら話した。(写真中段)
弾痕は九つ。柱の中央の線に沿ってタテに真っ直ぐに並んでいた。「プロのスナイパーだった」。ウラジミールさんは当時をしみじみと振り返った。
腐敗した親露政権を市民が中心になって追放したマイダンの戦い(ウクライナ騒乱とも)から8年が経つ。
市民側に122人もの死者を出す凄絶な市街戦だった。この死者数は救護班のカウントだ。田中に数字を教えてくれた救護班のメンバーは「自分の手元で8人の市民が死んだ」と話す。
田中は遺影を一枚一枚歩きながら数えたが、確認できただけでも110枚以上あった。
火を噴くような白兵戦でも、ネットから掬い上げてきた情報をもとにアメリカが裏で操っていたなどと言うのは簡単だ。
アメリカがクーデターに関与していたことは、映像や電話音声の記録などから明らかだ。
「アメリカから日当をもらっていた」という男性の話を、田中は当時キエフで聞いた。
アメリカはモスクワ嫌いのウクライナ国民を唆した以上、最後まで責任を持つ必要がある。
19日、ミュンヘン安全保障会議に出席したウクライナのゼレンスキー大統領がぶち撒けた。
「ブダペスト覚え書き(1994年)の署名国から安全保障が受けられない場合、覚え書きは無効になる」と。米国への痛烈な一撃である。
ブダペスト覚書(1994年)はこうだ―
ウクライナは所有する核を放棄する。代わりに覚書署名国はウクライナに安全保障を提供する。ウクライナは世界第3位の核保有国だったのである。署名国はアメリカ、ロシア、イギリス。
大国は「危険な核は捨てましょうね。かわりに私たちがあなたの安全を守ってあげますから」とウクライナを唆して核を放棄させた。
覚書きから18年が経った。安全は保障されるどころではなかった。安全は脅かされているのだ。
悪しき前例が定着してしまうようなことになれば、核保有国は「核を保有したままの方が安全だ」と思うようになる。
~終わり~