JR京都駅にゼロ番線ホームというのがあり、そこには秀吉の時代、洛中洛外を隔てる土塁があった。
血で血を洗うパレスチナにも鉄道にまつわる歴史がある。もちろん洛中洛外屏風図のように華やかではない。
上段の写真はエルサレムの市街地を走る路面電車だ。線路から右(東)は、第3次中東戦争(1967年)までヨルダン領だった。左はイスラエル領。
イスラエルはこの戦争で勝利し、聖地「ユダヤ第2神殿跡」を奪還。さらにはヨルダン川西岸を占領した。
わずか6日間でアラブ連合軍を撃破したイスラエル軍の将軍はイツハク・ラビン。後の首相だ。
イスラエルが勝利したとはいえ戦乱とテロは尽きず、中東情勢を不安定化させた。クリントン米大統領の斡旋もあり、イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)との間で和平協議が進められる。
首相ラビンは「和平のためならパレスチナに占領地を返してもいい」とまで譲歩した。戦争の現実と悲惨を知る軍人ラビンならではの決断だ。
土地と和平の交換は「オスロ合意」(1993年)となって、ノーベル平和賞を受賞する。
ラビンが取り返してくれた土地だからラビンが返してもいい・・・死にもの狂いで土地に執着するユダヤ人たちが、占領地の返還を認めたのである。
ユダヤ人たちは「平和が訪れる」と言い、パレスチ人たちは「土地が返ってくる」と言って喜んだ。世界も歓迎した。
ところが、極右のユダヤ人たちは占領地の返還を許さなかった。狂信的ユダヤ教徒の青年が放った凶弾がラビンの命を奪った。1995年のことだ。
ラビン暗殺から28年。和平の立役者を銃撃した極右青年と同じ思想のお歴々が政権を握った。国家治安相は「アラブ人に死を」と叫ぶ人物だ。
歴史の歯車が反転し始めたとたん、ガザを地獄に叩き込む軍事作戦が始まった。
~終わり~
◇
二重の借金に怯えながら田中はパレスチナの地に戻ってきました。
イスラエルはガザのみならず西岸のパレスチナ住民も根こそぎ追い出してしまいたい。民族浄化の思惑が透けて見えます。
人類史に刻まれるような大災厄が起きないことを願うのみですが、不幸にして起きてしまった時は、ジャーナリストとして見届け伝えなければなりません。