一昨年末から22日間にわたって続いたイスラエル軍によるガザへの侵攻で、国連人道理事会は集団虐殺があったとされる事件の調査を進めた。事件があったのはガザ市のほぼ中央に位置するザイトゥーン地区だ。ガザにあっては水に恵まれた肥沃な田園地帯である。
筆者は事件後間もなく現地に入り生存者の証言を集めた。精度・確度を高めるために幾度も現場に足を運び、日を違えて同じ人物に同じ内容の質問をしたりした。(拙ジャーナル『住民は一か所に集められ虐殺された』2009年3月22日付)
国連人道理事会の調査団長は「ユーゴ特別法廷」「ルワンダ特別法廷」を裁いたゴールドストーン元検事(南アフリカ)が務める。ジェノサイドの専門家でもある。ゴールドストーン団長はガザまで出向いて公聴会を開き、生存者などから証言を得てきた。
国連による調査でこれまでに明らかにされてきた事実が、筆者が現場で取材した内容とほぼ同じであることに改めて驚く。自らもユダヤ系のゴルードストーン氏が、イスラエル軍が行ったとされる虐殺を認定しているからだ。
昨年1月4日~5日にかけて陸上侵攻してきたイスラエル軍部隊が住民97人を一軒の家(※)に閉じ込めて空爆、29人が死亡したのである(国連人道調整事務所=OCHA=の調べでは死者は30人、集められた住民は110人となっている)。
1年半ぶりに訪れたザイトゥーン地区は、数時間前に取材したアルショハーダ村と同じように寂れていた。荷車を引くロバの蹄の音がカン高く響く。のどかだ。事件直後立ち込めていた「おぞましい霊気」は、強烈な夏の日差しと地中海からの風に消されていた。
公聴会に証人として立ったヘルミ・アルサムーニさん(27歳)に再会した。ヘルミさんもイスラエル軍に集められ家に閉じ込められた一人だ。連行される前に自宅で子供3人(うち1人は赤ん坊)を射殺されている。
撃たれたものの生き残った息子(現在6歳)は、銃弾が頬から鼻を貫通したため呼吸がうまくいかない。近く3度目の手術を受ける。ヘルミさんも脚と背中を撃たれ痺れが今なお残る。
イブティ・サムさん(主婦・現在32歳)も集められた。肩と脚を撃たれた夫は外国で手術を受け治療中だ。10人の子供を抱えるサムさんは「生活が苦しい」と嘆く。金のネックレスや指輪を現金に換え、コンクリート片を再利用した家を建てた。テント暮らしから抜け出すためだ。
サムさんは「虐殺事件の光景を毎晩夢に見る」と眉をしかめた。他の住民も異口同音に「虐殺事件が毎晩夢に出てくる」と話す。
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(※)アラブ民族は大家族制であることから普通、一家で大きな家に住む。