スマトラ沖大地震・津波の被災国に対する日本政府の無償援助金の7割が未使用になっている、と『朝日新聞』(5日付)が指摘した。
同紙記事によれば、最も未使用額が大きい国はインドネシアで、供与額146億円のうち事業が契約されたのは23億円という。わずか7分の1しか活用されていないことになる。
ODAで潤う日本企業もキックバックを懐にする政治家もつらいだろうが、立場上頭が痛いのはODAを司るJICA(国際協力機構)だ。業を煮やしたのか、同機構の緒方貞子理事長は7月初旬にインドネシアに赴いている。記者会見では「復興の速度を速めてくれ」と述べ、同国政府にハッパをかける格好になった。
スマトラ沖大地震・津波で最も被害が大きかったのは、震源地間近のナングロ・アチェ州(通称アチェ州)だった。復興の速度が遅いのは、同州で内戦が続いていたからだ。内戦が終わらないことには、日本企業は進出しづらい。
ODAの実施も困難になる。早く和平を、と日本のODA関係者は願ったはずだ。緒方理事長がインドネシア入りしたタイミングが7月初旬というのが、それを物語る。
その頃フィンランド前大統領を仲介役にした、インドネシア政府とアチェ亡命政府の和平交渉は大詰めを迎えていたのだ。筆者は亡命政府の置かれているストックホルムと和平交渉の場となっていたヘルシンキで、進展を見つめていた。
和平調印式(8月15日)の直前まで、亡命政府は苦悩していた。緒方理事長がインドネシア入りした7月初旬は、和平が決裂してもおかしくない状況にあったのだった。
権益の巣と拷問・虐殺
アチェ州は16世紀から20世紀初めまでアチェ王国として栄えた。独自の言語・文化を持ち石油、天然ガスなどの資源に豊かなことからインドネシアからの独立を求めてきた。
しかし同州を手放したくない中央政府は独立運動を力で押さえ込んだ。独立を求める反政府武装勢力GAM(Gerakan Aceh Merdeka=自由アチェ運動)との間で30年近く内戦(76年~05年8月)が続いてきた。
アチェ州の最大の魅力は、同州アルン地区から産出される天然ガスだ。現在、2社が操業している。ひとつは同国石油公社と民間会社が共同運営する「アルン社」(写真上)。もうひとつは「米エクソン・モビル」。
「アルン社」は中央政府の、「エクソン・モビル」は国軍の一大権益だ。「アルン社」からは多額の税金が中央政府に入り、買主である海外企業からのワイロも巨額だ。「エクソン・モビル」には国軍の親戚・家族などが1万5000人も雇用されている。
例を1つひとつ挙げる紙幅(スペース)がないのが残念だが、アチェ州は中央政府、国軍にとって権益の巣なのである。このため独立武装勢力GAM戦士やGAMとの関わりを疑われた住民は徹底的に弾圧された。
拷問のあげくに虫けらのように殺されていったアチェ人は、数えきれない。広大な「アルン社」の敷地内には、国軍の拷問部屋が97~98年頃まであり、アチェ人を震え上がらせた。「アルンの拷問部屋」を地元で知らない人はいない。
最大顧客は日本のガス、電力会社
アチェ亡命政府はUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のあっせんでスウェーデン政府が引き受けた。筆者はストックホルム郊外の亡命政府本部を訪ねた。
アチェ独立を宣言した76年は、ベトナム戦争で民族自決を掲げた北ベトナムが勝利した翌年である。隣のインドシナ半島で起きた革命は、アチェ独立運動に影響を与えずにはおかなかった。
GAMはなぜ勝利できなかったのか。亡命政府のマリク・ムハマド議長に聞いた。「ベトナム戦争では、中国やソ連が北ベトナムを支援した。アチェの場合支援がないばかりか、その逆だった。周辺国である日本や韓国、それに米国はアチェがインドネシアの一州である方が好都合だった」同議長は無念そうに語った。
日本はインドネシアへのODA最大供与国である。「外務省ODA白書」によれば、2003年度の実績は11億4100万ドル(円ではない、ドルである)。ODA全体の10%を占め、対国別ODAでもトップだ。
世界屈指の汚職大国インドネシアに、日本からの巨額ODAが大河のごとく流れ込む。キックバックは政治家のポケットに入り、事業を受注した日本企業は潤う。日本のODA利権の前にアチェの人々の人権は顧みられなかった、という現実がある。
インドネシア政府と国軍が手放したくないアチェ――最大の魅力は、アルン地区の天然ガスであることは改めて言うまでもない。ここに天然ガスが出なければ、アジアで一番長い内戦はなかった。アルン社の最大顧客は、日本の電力会社とガス会社である。