嬉しい驚きだった。
国連総会は18日、イスラエルに対し「パレスチナの占領を終わらせるべきだ」とする決議を採択した。米国が反対したのにもかかわらず、日本は決議に賛成したのである。
パレスチナの現実を見ると占領は酷くなるばかりだ。入植地は年々広がる一方である。パレスチナの領土はその分浸食されるのだ。
東エルサレムにあっては、パレスチナの国旗を掲げることさえ大臣令で禁止されている。「アラブ人に死を」と叫ぶベングビール治安担当大臣が定めたのである。
だからといって国連決議は決して夢ではない。「占領地を返す」とまで言った首相がイスラエルにいたのである。第6・11代首相のイツハク・ラビンである。
ラビン首相はPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長との間で「土地と和平の交換」を約束した。オスロ合意(1993年)である。
「イスラエルは占領地を返すからパレスチナはテロを止める」という大筋内容だ。
占領地とは第3次中東戦争(1967年)でイスラエルがアラブから分捕った土地のことだ。
第3次中東戦争を指揮したのがラビン将軍である。ラビンはわずか6日間で戦争に決着をつけた。
戦争は期間が短ければ短いほど双方の軍にも民にも損傷が少なくて済む。ラビンは極めて優れた軍人だったのである。
イスラエル国民の多くは「ラビンが返すのだったら」と言ってオスロ合意に賛同した。
ラビンは戦争の現実を嫌というほど知っていたからこそ、平和の尊さも平和への導き方も知っていた。
地獄のガザ戦争を戦うイスラエル軍の中からネタニヤフ政権を討伐し、パレスチナとの間で和平を結ぶ将軍が出ないとも限らない。
実際、ラビンはやってのけたのだから。極右青年に暗殺されなければ、「土地と和平の交換」は実現していた可能性が高い。
パレスチナ取材に行くと各国のジャーナリストと同じ現場に立ち、問題意識を共有する。世界はパレスチナを見捨ててはいない。
~終わり~
◇
『田中龍作ジャーナル』はマスコミが報道しない世界の冷厳な事実を伝えます。
取材費が圧倒的に不足しております。ご支援何とぞ御願い申し上げます。