リビアの首都トリポリを象徴する「緑の広場」。緑の革命にちなんだのか、モスクワの「赤の広場」に倣ったのか、カダフィ大佐がクーデターで政権を掌握するや(1969年)、「殉教広場」を改名して、そう名付けた。
高射砲を積んだ反政府軍のピックアップトラックが祝砲を鳴らしながら入場すると、人々は歓声と指笛で迎えた。地響きがするような高射砲の重低音と耳をつんざく指笛の高音が興奮をかき立てる。無数の赤いバラが空を舞った。広場は42年間にも及ぶ圧政を生き抜いたリビア国民の解放感ではち切れそうだ。
アイシャ・イレマルさん(23歳・歯科医大生)は興奮気味に語る。「カダフィ時代は内通者が周りにいて何も話せなかった。やっと自由に話せるようになった。カダフィは早く捕まってほしい」。
反政府軍の兵士として戦場を駆けたサラさん(23歳)は、冷静に将来を見据えていた。「リビアを自由な国にしたい。カダフィは教育に否定的だったので、自分は先生になって子供たちを教えたい」。ベンガジの大学で英文学を専攻していたサラさんは、近く復学する。
毎年9月1日は革命記念日だが、カダフィは反政府軍とNATOの猛攻撃に遭いながらも、「緑の広場」で例年のように豪華式典を挙行しようとしていた。独裁者が最期まで権力に執着することは、歴史を紐解くまでもない。
広場には高さ20m、幅40メートルの鉄製の櫓が5基並んでいる。カダフィが設営させたものだ。櫓にはカダフィの写真や体制を賛美する飾りが掛けられるはずだった。
♪♪リビアに自由を、リビアに誇りを…♪♪
独裁者は追われ市民の合唱が広場に響いた。広場の名前は「緑の広場」から「殉教広場」に戻る。自由を求める戦いで命を落とした人々を弔うために。